【インタビュー】松下裕子さん 乳がん ステージ2 サバイバー

    乳がんステージ2B(トリプルネガティブ)サバイバー 松下裕子さんのインタビューです。

    ※ストーリーをまだ読まれていない場合は先に読まれることをおすすめします。

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    目次

    基本情報

    名前: 松下裕子さん >>5yearsプロフィール
    年代: 50代、女性
    病名: 乳がん
    病理: 
    進行: ステージ2B (トリプルネガティブ)
    発症年月: 2010年11月
    発生時年齢:43歳
    受けた治療: 抗がん剤治療、温存手術、放射線治療
        
    治療期間: 2010年12月~2011月8月
    合併症:無し
    職業: スーパーマーケットのパートタイマー
    生命保険会社:明治安田生命保険

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    20代のころに子宮筋腫が見つかりました。その後、病院での検査は、どのようにされていましたか?ほとんど行われていなかったのでしょうか?

    20代の頃に生理痛の激痛で内診を受けましたが、それ以降は痛み止めを飲んでしのいでいました。

    毎月、生理痛がきつい時、子宮筋腫が進行しているとは思われなかったですか?

    子宮の大きさに思考が追い付かず、ただ痛みと戦っていました。

    だるい、しんどい、そして、ドロッとした血の塊のような出血が起きたと伺いました。当時の体調を教えてください。

    常に心おぼつかないというか、痛みや吐き気、38度台の発熱も起きていた中、週に五日パート勤務をこなしていました。階段や坂道が息切れしてしんどかったのを覚えています。

    診察した医師から子宮の全摘を言われます。この時、それまで詳しい検査を避けてきたことを後悔されましたか?

    とっても後悔しました。ただ、経済的にも、愛犬の世話(愛犬がいたので自宅を空けられない)に関しても、入院や手術に踏み切れる環境ではなかったので、この時期とっても具合が悪くなって手術へと踏み切ったことには納得しています。このことが、この後続く乳がん治療への早めの通院に繋がりました。

    子宮の全摘を受けて、結果的に体調が改善し生活が楽しくなったと伺いました。当時の状況を教えてください。

    楽しいというよりも、「幸せ」だと思いました。普通に階段や坂道を小走りできたり、何よりも痛みから解放されて、心が軽くなりました。これで人並みに働けると希望が持てました。

    会社で受けていた毎年の健康診断は基本的な検査項目だけだったと伺いました。どんな項目だったのでしょうか?

    血液検査、尿検査、問診、視力検査、聴力検査、肺のX線レントゲン検査、メタボリック検査、心電図です。

    勤務中に右胸にある3cmくらいのゴリッとしたものに触れます。3cmとなるとかなり長い期間かかりその大きさになったと思いますが、それまで自分で入浴中に行う触診とかはされていなかったのでしょうか?

    主人が一緒に入浴する時に、両胸を触ってシコリらしきものは感じなかったと今も言われました。ある日突然なんですが、しこりが浮き上がったという感覚です。不思議に思われると思いますが、その日まで全くしこりを感じませんでした。主人に確認してもらっていたので、自分では触診をしませんでした。

    まず、隣町にある内科クリニックを受診したのはなぜですか?

    生理による貧血が悪化して、造血剤を毎日受けさせてくれたのが隣町のクリニックでした。
    この件が、かかりつけの内科クリニックとして今でも支えてもらっているきっかけです。そこに女性の先生がいらっしゃるので、触診してもらって、どの病院が良いかアドバイスを頂きたかったのです。

    国際医療福祉大学熱海病院で受診するまでに時間がかかります。「もしかしたら乳がんかもしれない」と思いながら、診察を遅らせるのは不安ではなかったでしょうか?当時の心境を詳しく教えてください。

    病院に行くまでに、卵巣の排卵があって胸が痛みを伴う張りが続いていたので、それが引くのを待ちました。一刻も早く診察をしてもらいたいという気持ちより、正直に言うと、病院が怖かったのです。
    乳がんかもしれないと思う程に、病院の敷居が高く感じました。
    それでも、行かないといけないという気持ちはあったので、胸の張りが消えて直ぐに行きました。子宮の件で病院を恐れていたことを教訓に早めに行ったと自分では思っています。

    医師から「いま言っちゃうけど、ゴメンね。これは、ほぼ間違いなく「がん」です」と言われた時のお気持ちを教えてください。

    ショックで、悲しく、怖くて仕方ありませんでした。
    死ぬのかと思いました。

    乳房の組織をとる、生検はいかがでしたか?どのような検査でしたか?

    もともとが血液検査も恐怖を感じるので、とっても怖かったです。
    でも、先生と看護師さんが、優しく対応して下さり、エコー検査で針を刺す位置を決めてから麻酔を打ってメスを入れ、三回の大きな音がする組織の採取を無事に行えました。
    時間としたら、30分はかからなかったと思いますが、とっても長く感じました。

    夫に申し訳なく感じ、「離婚してほしい」という心境について教えてください。

    今までのように家族として、夫を支えることが不可能だと思い、申し訳ないという気持ちでいっぱいになりました。(自分は)夫の負担にしかならないと考えたのです。
    (今後自分の治療が始まると)特に金銭面で重たくのしかかると思いました。

    母親に「乳がん」を告げた時、どんな会話がなされましたか?

    メールで伝えた後、母から電話があり、「ごめんね。」というと、母は明るい声で
    「大丈夫よ!すぐにカツラを買いましょうね!女性はそういう所から補うことが大事なのよ!」と言ってくれて、とっても安心し、心強さを感じました。

    スーパーの店長からひどい対応をされ「治療を受けながら働いてほしくない」と言われます。彼は、なぜそのようなことを言ったと思いますか?

    これは、想像でしかないので、事実ではないという前提でお話させて頂くならば、乳がんをきっかけに退職を申しいれさせたかったのが一番だと思います。

    ご主人は、横柄な店長を前に黙っていらしたと伺いました。なぜ、そのようになってしまったのでしょうか?店長は乱暴な人だったのですか?

    その店長は部下の好き嫌いがはっきりとしていて、言葉は常に乱暴でした。「発注に欠品が出たらぶっ殺す」 と言われたこともあり、私以外の社員も怖がっていました。主人はその瞬間呆れ返って何も言えなかったということです。何故かは私も理解できません。

    労働局の年配の男性は何と言われていましたか?どのような行動に出たのでしょうか?

    労働局に電話をした翌日に労働局に来るように言われ、その通りに伺いました。すると「余りに酷い話なので、放置できない。今ここで本社の人事部長さんに電話しなさい。何なら電話をかわってあげるから。」と促して下さり、勇気を出して、人事部長に電話をしました。

    抗がん剤治療(FEC療法)は、いかがでしたか?

    とっても辛く、覚悟はしていても15分おきに嘔吐を繰り返し、翌日からの味覚障害にも動揺はしました。白血球が低下する頃と、脱毛する時期がほぼ同時で、体調や外見の変化に、なるべく過敏にならない様に心がけ、これが治療なのだと受け入れていました。

    FEC療法中の生活について教えてください。

    看護師さんから 「吐いちゃっても良いから食べたい時に、食べたい物を食べてね!」とアドバイスして頂いたので、それに従って食べるようにしましたが、飲み物がお水も苦く、飲めるものが今まで苦手だった珈琲だったりして、飲み物に関しては摂取が足りなかったと後で思いました。

    当時の脱毛についてその様子を教えてください。

    抗がん剤治療開始からおよそ2週間経ったころから脱毛が始まり、先ずは頭頂部から始まりました。覚悟していたのですが、実際にゴミ箱が髪の毛で真っ黒になるのを見ながら自分で抜く行為は涙が止まりませんでした。

    どんな存在価値があるのだろうか?という心境、そして、命を助けようとする医療スタッフから、存在価値を見出したことについて教えてください。

    「どんな存在価値」=「どんな人間にも生きる意味、価値がある」という結論に達しました。 一番強く感じたのは、「こんな私にも一生懸命治療にあたってくれて、シコリが小さくなったと分かると喜んでくれ、点滴が時間通りに落ちるように考えて工夫してくれる看護師さんの存在があったりするのだから、感謝すると同時に自分を愛してあげないと、皆さんに失礼にあたるのだ、」ということです。

    抗がん剤治療(パクリタキセル)は、いかがでしたか?

    吐き気は時々あったのですが、その前に受けたFECの後遺症だととらえています。全身の浮腫みが最高潮に達した時は、トイレに行くために起き上がるのでさえ、大変でした、味覚障害も残っていたのですが、慣れてきて、食べられる種類が増えました。

    パクリタキセルを投与していた頃の生活を教えてください。

    自分が抗がん剤治療中であるということに馴染んできたし、嘔吐を繰り返すということも無かったので、浮腫みと唾液の気持ち悪さを乗り切れば良いのだと思っていました。浮腫みで足も太く、重たくなり、一度横になると起き上がりにくいので、トドのように寝ていました。食べる、寝る、愛犬のお散歩に10分ほど行く、お風呂に夫と一緒に入る(転倒が心配で付き添ってくれました)、寝るの繰り返しでした。

    抗がん剤治療中、ご主人とお母さまは、どのように接してくれましたか?

    夫は私の口内炎が酷い時や、脱毛が始まった時、涙をためて「かわいそうに」と言いながら、一緒に耐えていてくれました。レストランに行くと、私が帽子をかぶっている自分の姿が他人にどう見られるのか気になっているのを悟ってくれて、冗談を言って気を紛らわせてくれたりしました。母は週に二度は東京から看病に来てくれて、お惣菜を買ってきてくれたり、愛犬のお散歩に行ってくれたり、時には私が弱気になり、幼子の様に膝枕をしてくれたこともありました。とても有難く、深い愛情を注がれています。

    抗がん剤治療が終了した時のお気持ちを教えてください。

    抗がん剤治療が終わったと同時に、手術や放射線治療が待っていたので次の準備だという気合いに満ちていましたが、今思い出すと、「抗がん剤が抜けて行ってしまうのだ。またガンが私の中に現れるかもしれない」という不安は感じ始めていました。

    手術について医師と相談し、家族で話し合った結果、温存型となります。その決定の仕方について教えてください。

    手術前日に、夫と母と私の三人で主治医の先生から手術におけるメリット、デメリット、今後の生活で気を付けることなどを聞いた後、私の場合ですが、温存でも全摘出でも生存率に差は無いことを説明してもらって、温存手術に決定しました。

    手術を受けたあとの体調は、いかがでしたか?

    右の脇の下もメスが入って、ドレーンが刺さっていたのでその部分が特に痛かったです。右胸の痛みは、その痛みの方が強かったのでまぎれました。右側に身体を向けて眠れませんでしたが、リハビリの疲労もあって、毎日ぐっすり眠れて、食欲もあり、元気でした。

    病院で行われたリハビリはどのようなものでしたか?つらいリハビリでしたか?

    毎朝9時からリハビリルームに行って、技師さんとビデオを見ながら同じ振りをします。
    音楽に合わせて両腕の上下、左右に動かしたり、じゃんけんの仕草を繰り返しました。
    その後で、必ずマッサージしてくれて、とても気持ち良かったです。最初は痛くて上がらなかった右腕が徐々に上がる角度が増していって、嬉しかったです。次の治療である放射線治療には、このリハビリが欠かせなかったので、頑張りました。

    治療中、リハビリ中、心の浮き沈みに、どのように向き合いましたか?

    なるべく、あまり先のことを考えない様にしました。考え込まない様に心がけました。治療中は思考力も低下するのか、自然とぼーーっとしていましたが(苦笑)何よりも自分と向き合い、周囲の人々からの優しさに、温もりにひたすら包まれていたと思います。「がんに勝つのだ」とか「負けない!」という方向の気持ちよりも、穏やかな気持ちで居ました。

    女性のがんである乳がん治療と性的な尊厳について、感じることを教えてください。

    私はホルモン治療は行っていないのですが、抗がん剤治療によって卵巣の機能も消滅すると主治医に言われました、子宮は無いので、生理痛のある患者さんは辛いだろうなぁ、と思って質問したことがあったのですね。 その時に「松下さんは43歳なので、卵巣の機能も消滅します。若い人は抗がん剤治療を終えると復活する場合もあるんですが」と言われました。
    「女性」である前に「人間」であると日頃思っているので、先生の答えにショックは感じませんでしたが、お辛い患者さんは多いだろうと思います。がん治療を優先する際、どうしても犠牲を伴うので、難しい問題ですね。でも、命を最優先に考えたいと思います。

    放射線治療の方法と、その後の体調について教えてください。

    先ずCT検査を受けて、放射線を照射する位置を決めます。油性の独特な青っぽいマジックで何本か線を引かれました。夏だったので汗で消えてしまうけど、極力その部分をいじらない、洗わない様に注意を受けました。翌日から25回、土曜日、日曜日を除く毎日決まった時間に照射します。シコリのあった部分に1分、その反対の上から約1分照射します。回数を追うごとに照射した部分が赤くなり、毎朝マジックペンで照射位置の線を描かれるのが、痛みが増して、痛く、だるさも感じました。終わって帰ると横になっていました。吐き気などはありませんでした。ただ頑張ろうと必死でした。

    松下さんにとって信頼できる医師とはどんなお医者さんですか?

    「病気」を診るのではなくて、「患者」を見つめ、気持ちに寄り添って下さる先生です。

    治療中、情報交換できる患者友達はいましたか?

    同じ時間帯に抗がん剤ルームにおられる患者さんで、主治医が同じ女性とお話できました。
    それがまた、私を支えてくれる源の一つに加わりました。

    全ての治療を終えて「経過観察」、とても嬉しいことだと思いますが、逆に不安になっていきます。当時、何を考え、どんな精神状態だったのでしょうか?

    トリプルネガティブという私の乳がんのタイプは予後が悪いといわれることが多く、不安が大きいです。
    当時はトリプルネガティブという専門用語を知らず、ただ、「抗がん剤しか効果を示さない」という解釈だったので、治療を全て終えた後の心理状態の方が、危うかったと思います。いつまた再発するか分からないという恐怖に包まれていました。そのどす黒い感情から脱することが出来たのが不思議な程でした。自分で乗り越えるしかないのです。でも、これまで私に手を差し伸べて下さった皆さんを思い出したり、闘病中に気付いた「自分を信じ、愛してあげるのだ」という大切な事を再確認しながら、原稿用紙に向かっていました。

    本を書くことになった経緯について、出版社との出会い、ご主人のお考えなどを教えてください。

    「再発への恐怖心からの脱出」が、夫の目指す所で、私はその気持ちは後で知ったのですが、言われた通り、何となく書き始めると、楽しいし、時間を忘れました。あっという間に原稿用紙2冊分書けたので、専門家の方がこの文章をどう感じられるのか知りたくなったというのが正直なところです。インターネットで闘病記を探しているとあったのが、文芸社さんだったので電話をしました。すると偶然その担当さんが出て下さり、闘病の経緯や就労問題の件もお話をして、会って下さるという流れになりました。
    乳がん治療にあたって良い経験も、悲しい経験も社会に知ってもらいたいと夫は思ったそうです、(今聞きました)貴重な体験だからと言っています。

    会社復帰の際に苦労されたことについて教えてください。

    夫と一緒に会社側と何度も話し合いを続けている間も、社会保険料(当時2万円弱)を支払い続けていたことも、収入の無い私にとっては辛いことでした。席を置くということにお金も絡んでくるので、母にも迷惑をかけました。それでも母は絶対に諦めるなと応援してくれていました。弁護士の先生には、「暴言については証拠が薄いから、厳しい戦いになる」と言われ、職場復帰には時間がかかると感じ、不安になりましたが、ちょうど全国労働組合を紹介して下さる新聞記者さんと出会えて、団体交渉に踏み切れたので、私は恵まれています。ただ、そこには「会社に牙をむく」という存在になることを覚悟しないといけないので、本来の目的である「仲間たちと仲良く、笑顔で仕事が出来る環境に!」というのを常に心の芯に置きながら、交渉させてもらいました。その部分で自分を冷静に心がけ、感情的にならないようにコントロールするのが大変でした。

    復帰した後、職場の雰囲気、対応はいかがでしたか?

    有難い部分としては、団体交渉の際、私に電話をかけてきた女性パート仲間が人事部長や当時の店長のいる前で謝罪をしてくれて、今までのわだかまりを払拭できてスタートを切れ、パート仲間の顔ぶれも少々ですが変わっていたので、自分も心機一転と思えました。しかしながら、当時の店長や男性社員には、慎重に扱われていました。距離を置かれるというのでしょうか。寂しかったですが、そういう距離も徐々に縮めていこうと笑顔でいるように努力しました。職場復帰しても、労働時間をなかなか増やしてもらえなかったのが、悲しかったです。情けないという気持ちが大きくなりました。

    会社復帰後、苦労されたことは何ですか?

    苦労というか、恐れているのは、ちょっと体調を崩した場合を想定して「お休みさせて下さい」という言葉を言いたくても、ガンのせいで具合が悪いのでは?と思われたくないので、どうしても無理をして働いてしまい、常に気を張っていました。
    早退、遅刻は絶対にしないようにとか緊張した日々でした。
    今でも若干ですが、そういう気合い入れは必要で、休まないよう体調管理に気を付けています。

    ブログを通じて知り合っていく友人たちの存在について教えてください。

    ブログの世界に足を踏み入れたことによって、同じ乳がん患者さんとの出会いが増えました。その中には治療が身体に合致せず、悲しいお別れもあり、その方の分も生きようと思っています。 また、病気でない方、例えば愛犬ブログで私を知って下さり、応援して下さる方々とも出会え、愛犬の介護へとその後続くので、毎日励まして下さいました。
    今も変わらずにコメントを下さり、大切な存在です。
    そういった反面、同じ乳がん患者さんの中でも疎遠になってしまったり、誤解を招いてしまって距離を置かれる場合もあるのですが、色んなお勉強をさせてもらったと、感謝しています。

    子宮全摘と乳がんを経験して感じたことは何ですか?

    それは、「喪失感の差」です。
    子宮に関しては、手術に要した時間が8時間で、硬膜外麻酔も使ってもらい痛みを軽減させる、手術の際出血したので、また貧血になり、毎日造血剤も点滴してもらうなど、体のダメージは、乳がんに比べて大きかったのですが、喪失感は、目に見えてないので私の場合ですが、今後の生活で、子供が授かれないという罪悪感は償えると思っていました。

    乳がんを患い、「死」をすごく近くに感じ、温存手術とはいえ傷は前を向けば目に飛び込んできて、お腹の傷(子宮全摘出の時のです)よりも身近に感じました。そして、若干ではあるけれど、左胸よりもくぼんでしまった右胸が悲しく感じる時があります。
    バランスが崩れたんですね。そこが大きく違います。
    子宮を摘出した部分を夫と母は先生に見せてもらったそうですが、私は麻酔が覚める前で直視してないんですね。そういうことも影響していると思います。

    がんになって失ったもの、得たもの

    【得たもの】

    1. 本当の意味での「感謝」を知ったこと。
    2. 自分を許せるように、愛せるように、信じられるようになったこと。
    3. 信頼できる友人が増えたこと。

    【失ったもの】

    1. 手足の痺れで思い切りお散歩したり、立ったままでいられないこと
    2. 「再発への恐怖」という意味での「以前の明るさ」(夫が言っています。)

    大切にしている言葉

    「ありがとう!」

    現在治療中の方々に伝えたいこと

    治療中には、落ち込むことも当然あるのですが、とあるブログ仲間が滅入っている時に、「マイケルジャクソンさんが、ムーンウォークする時でさえ、前を向きながら後ろに移動してるでしょ?だから、人間っていつだって前を向いてるんだよね」ってコメントさせて頂いたら、すごく元気になってくれたんですね。
    無理に泣くことを我慢する必要も、前を向く必要もないと思うんです。
    ただ、ちょっと顎を上にあげるだけで視界が違うので、ふとした瞬間で構わないから上を向いてみてください。 あと大切なのは、お体を休ませてあげること。
    どうしても元気だった頃を脳が記憶しているので、普段通りに生活してしまいがちですが、体力温存作戦といっていまして、免疫力を安定化させ、治療を順調に進めるためにも、「休むことが今の自分の仕事」と思って頂きたいです。

    現在治療中の患者さんのご家族に伝えたいこと

    オフ会などで良く耳にするのが「夫や家族が治療の副作用を理解してくれない。横たわっていると不満を言われる」という悲しい現実です。私の夫は手足の痺れを今も理解してくれず、喧嘩になります(苦笑)痺れは傷や湿疹など、目に見える症状ではないので説明しずらいし、理解もしにくいのでしょう。ホルモン剤の治療は10年続くと聞きます。
    そういった患者さんの症状は様々ですが、何よりもご家族に寄り添っ頂けたら、患者として踏ん張れるのです。言葉にしなくても不安でいっぱいの時期がありますので、そういう時、そっと背中を撫でたり、手を握って下さい。抱きしめて下さい。どうか、よろしくお願い申し上げます。

    松下さんが、いま、やられていること、今後、やろうとされていること、やりたいこと。

    今は、スーパーで仕事を継続していることが、患者さんへの希望、不安の軽減になればと願っています。今後はこういった姿を発信できる機会を頂けたら幸せです。
    具体的にどういった仕事をしていて、浮腫みは出ないんだとか、生活上どういった注意を続けているのかを見て頂けると、治療中の患者さんやご家族が安心して下さると思うのです。また、講演会などで患者さんのみならず、病院関係者の皆様にも患者としての体験を聞いて頂いて、ご参考にして頂けたらと願っています。そして今大きな悩み、悲しみを抱いている方々へ、私の経験が少しでも何らかのお力になれたらと強く願います。

    がん患者がしてはいけないこと(3つ)

    1. タバコを吸うこと。
    2. 先生の許可なくお薬を飲まなくなったり、通院、治療をやめてしまうこと。
    3. 無理をしてしまうこと。

    がん患者がするべきこと(3つ)

    1. 深呼吸をして、リラックスすること。
    2. 良く眠ること。
    3. ストレスをためないこと。

    周囲から掛けられた言葉で、嬉しかった言葉

    1. 松下さんがいると笑顔になれるわ。
    2. 早く職場に戻って来てね。待ってるからね。
    3. そのままの松下さんで良いよ。

    周囲から掛けられた言葉で、不愉快に感じた言葉

    1. 乳がんなんて大した事ない。
    2. 抗がん剤治療をしたからって、しなかった患者に勝ったと思わないで。

    復職する際に大切なこと

    1. 仕事が出来るという事に感謝すること。
    2. 仲間を大切にすること。
    3. 手伝って欲しい時は素直に助けを求める事。

    当時参考にした本

    小倉 恒子さんの 「うまく使ってうまくかわす!怖くない抗がん剤」

    >>松下裕子さんの「ストーリー(がん闘病記)」はこちら

    >>松下裕子さんの「がん経済」はこちら

    取材:大久保淳一

    この記事の著者

    (5yearsプロフィール)

    日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
    2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
    現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
    >>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
    >>NPO法人5yearsの組織概要はこちら



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