卵巣がんステージ3 サバイバー川崎さんへのインタビューです。
目次
- 1 川崎洋子さんの基本情報
- 2 薬へのアレルギーがあると言われた時の心境について教えてください。
- 3 膠原病(こうげんびょう)は、誤診ではなかったのですか?
- 4 お父様にはがんのことを伝えたのは、いつ・どういう状況のときですか?
- 5 川崎さんというがん患者にとって仕事とはどういうものですか?
- 6 仕事への復職の難しさについて教えてください。
- 7 長期間の治療となり感じたことは何ですか?
- 8 1年以上に及ぶ入退院の期間、4歳のお子さんのお世話は、誰が、どうやって頑張られたのですか?
- 9 41歳という若さでがん患者となったことの心境について教えてください。
- 10 治療中に苦労されたこと(3つ)
- 11 がんになって失ったもの、得たもの
- 12 大切にしている言葉
- 13 現在治療中の方々に伝えたいこと
- 14 いま、やられていること、今後、やろうとされていること。
- 15 がん患者がしてはいけないこと(3つ)
- 16 がん患者がするべきこと(3つ)
- 17 がん治療にかかった費用と保険でカバーされた金額
- 18 参考にした本
- 19 最後に
川崎洋子さんの基本情報
名前: 川崎洋子さん
年代: 50代、女性
病名: 卵巣がん
進行: 漿液性腺癌/ステージ3C
発症: 2003年 3月(41歳)
治療: 手術・化学療法(点滴・服用)
期間: 2003年4月~ 2005年2月
合併症:膠原病・腸閉塞
職業: 美容師
生命保険: アリコ疾病入院保険
薬へのアレルギーがあると言われた時の心境について教えてください。
消炎鎮痛剤のアレルギーでは発熱して微熱が続くだけだったので、それほど大きな問題ではありませんでした。しかし、手術時の麻酔薬にもアレルギーがでる可能性があると知らされた時は、さすがに落ち込みました。手術が受けられないということは命が危なくなるということだからです。
膠原病(こうげんびょう)は、誤診ではなかったのですか?
膠原病の確定診断には至りませんでしたが、全身性エリテマトーデスもしくはシェーングレン症候群の可能性が高く、膠原病として治療することを主治医から伝えられました。
膠原病は認定されると治療費が公的負担となります。そのため認定の為の検査基準は、各医療機関によって異なるようです。
お父様にはがんのことを伝えたのは、いつ・どういう状況のときですか?
5月の手術後、妹に話してもらいました。父はあとから「膠原病で手術なんておかしいと思っていた」と言っていました。
私が母と同じ病気(卵巣がん)になってしまい、父には本当に心配をかけてしまいました。
川崎さんというがん患者にとって仕事とはどういうものですか?
「生きる希望」です。
仕事への復職の難しさについて教えてください。
私の場合、退社ではなく休職扱いにして頂いていたので、復職自体は難しくありませんでした。むしろ1年間のブランクにより美容師としての技術的・感覚的な能力がどれほど損なわれているのか、或いは保たれているかの不安が大きかったです。
長期間の治療となり感じたことは何ですか?
家族(夫・妹・父・息子)、職場の仲間、友人、多くの人に心配をかけると同時に、助けてもらいました。
こんなに大切な人達に助けられ支えられて今まで生きてきたのだと改めて感じまし。そして、心から感謝しました。
入院した病院も恵まれた環境であったとおもいます。オープンな雰囲気の病棟で、患者同士が普通に病状の話しをし、相談が出来ていました。主治医は慎重ですが穏やかな方で、どんな質問や不安にもしっかりと向き合ってくれました。
チーム医療で診てもらっていましたが、とても心強かったです。
だから一年間に及ぶ入退院も乗り越えられました。
1年以上に及ぶ入退院の期間、4歳のお子さんのお世話は、誰が、どうやって頑張られたのですか?
当時、息子は保育園に通っていました。朝は夫が息子を送ってから仕事に行き、帰りのお迎えは父に頼みました。夫が帰宅するまでは父が面倒を見て、夫が帰宅してからは朝迄夫が息子の世話をしていました。
息子にすると、土日のどちらかは病院に父親と一緒にきて、私と病院内のレストランでおやつをたべるのが楽しみだったようです。
41歳という若さでがん患者となったことの心境について教えてください。
同年代で同じ病気の方は何人もいました。当然仲良くなりますが、今連絡を取り合う人は僅かです。いくつでがん患者になっても辛いことに変わりはないとおもいますが、若ければわかいほど別の悩みも多くなる気がします。
実はいま、私の妹も同じ病名のがんを40代半ばで発病し、現在再々発の闘病中です。
治療中に苦労されたこと(3つ)
- 不安定になる気持ち
- 化学療法の副作用(吐き気・脱毛・特に骨髄抑制)
- 薬剤アレルギーがでるかもしれない不安。
がんになって失ったもの、得たもの
【得たもの】
時間
【失ったもの】
特にありません
大切にしている言葉
一期一会
現在治療中の方々に伝えたいこと
頑張りすぎないようにして頂きたいです。いつも前向きではいられないと思います。ときには立ち止まっても大丈夫です。
いま、やられていること、今後、やろうとされていること。
美容師として、そしてがん経験者の私だからこそもっと患者さんたちに関われる事があると感じています。
がんと向き合っている人達が、普通にサロンでヘアスタイルの相談や頭皮ケアができるように環境を整えたいです。
がん患者がしてはいけないこと(3つ)
- 他の人と比べること
- 現実から目を背けること
- 自分を大切にしないこと
がん患者がするべきこと(3つ)
- 諦めないこと
- 主治医との信頼関係を築くこと
- よく泣きよく笑うこと
がん治療にかかった費用と保険でカバーされた金額
治療費: 2,500,000円
保険等給付金: 2,000,000円
参考にした本
千葉敦子「よく死ぬことはよく生きることだ」
鎌田實「がんばらない」
柳田邦夫「元気がでる患者学」
木原和子「がん患者学」
絵門ゆう子「がんと一緒にゆっくりと」
最後に
20年前、私はがん患者の家族でした。
15年前、私自身ががん患者になりました。
5年前、再びがん患者の家族になりました。
自分がその立場にならないとわからない事は沢山あります。
がん患者本人と家族には、その思いに微妙なズレがあります。
寄り添っていくことの難しさ、何とかしたい気持ち、未だにじたばたしています。
それでも、生きているからこそできるのだと思います。
精一杯、じたばたして生きていきます。
>>川崎さんの がん闘病「ストーリー(がん闘病記)」記事を読む
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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