【インタビュー】松井雅彦さん 中咽頭がん ステージ4 サバイバー

中咽頭がん ステージ4 サバイバー 松井雅彦さんのストーリーです。

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目次

基本情報

名前: 松井雅彦さん >>5yearsプロフィール
年代: 50代、男性
病名: 中咽頭がん (食道に転移がん)
病理: 
進行: ステージ4
発症年月: 2015年10月
発生時年齢:52歳
受けた治療: 中咽頭がん(放射線治療、抗がん剤治療(ドセタキセル、フルオロウラシル、シスプラチン)、食道のがん(内視鏡による外科手術)
    
治療期間: 2016年1月~2016年4月
注記:  食道癌を併発
職業: 会社員
生命保険会社: アクサ生命保険株式会社

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2015年10月に微熱、咳、喉の痛みと症状が出て内科クリニックを受診します。風邪という診断で風邪薬を処方されました。これは本当に風邪だったと思いますか?中咽頭がんが併発していたとは、思いませんか?

風邪以外はないと思っていました。癌は頭の中には全くありませんでした。

会社の同僚の方に「首が浮腫んでいる」と言われます。これは、風邪と関係あるのでしょうか?それとも咽頭がんによる症状だとお考えですか?

癌という発想はありませんでした。同僚からは扁桃腺の病気について話を聞いていただけでした。

2015年12月、地元のさくらクリニックに行こうとしますが、いつも患者で混んでいて中々いけません。この頃の体調はどんな感じだったのでしょうか?喉の違和感は大きくなっていましたか?首のむくみはいかがでしたか?

今思えば、かなり浮腫んでおり違和感もありました。

12月19日、さくらクリニックで診察を受けた時、ファイバースコープが入らないほど腫れて炎症していると言われます。医師は、このとき深刻な感じに対応していましたか、それとも普通だったのでしょうか?

なんでこんなになるまで放っておいたの!という表情を感じ取りました。

炎症がひいた12月22日に再び、さくらクリニックを訪れると「極めて悪性の可能性が高い腫瘍がある」と言われます。がんを示唆していますが、この時の松井さんの心境を教えてください。

何が何だかよく理解できていませんでした。

紹介先が横浜南共済病院になりますが、なぜ、この病院だったのでしょうか?

自宅に最も近い総合病院だからだと思ってます。

奥様に電話をして、一緒に横浜共済病院に行かれます。奥さまは「悪性の可能性」「腫瘍」という言葉にどんな反応をされましたか?

一瞬絶句し、「すぐに一緒に行く」と言いました。

この日、その足で横浜南共済病院に行き、がんの診断を受けます。どのようなお気持ちでしたか?死の可能性みたいなものを感じましたか?

とにかくバタバタと色々言われ、唖然としていました。ただ、死の可能性についてはこの時点では全く考えていません。

松井さんは、これまで会社の健康診断を受けてこられたと思いますが、胃の内視鏡検査を受けたことはありますか?もし、胃の内視鏡を定期的に受けていたら、もっと早く中咽頭がんを見つけることができたとお考えでしょうか?

内視鏡検査は初めてでした(何時もはバリウムでした)健康診断は毎年年初にしていたので、タイミングが悪かったのか程度にしか考えていませんでした。

がんの事実をお母さまには伏せて、お兄さまには伝えます。お兄さまは弟のがんについて何と言われていましたか?

最初はびっくりしていた。しっかり治してくれ…みたいな会話だったと思います。

会社にも、がんの事実を伝えます。伝えることにためらいは無かったですか?周囲の人たちは何と言っていましたか?

長期入院を覚悟していたので、伝えなければならないと思っていました。また当時の直属の常務からは、とにかく休んで治療に専念しろ!と言われたことが印象に残っています。

12月24日、内視鏡検査により、中咽頭がんが食道に転移しているのがわかります。この時の心境を教えてください。奥さまは何と言われていましたか?

よく覚えていませんが、逆に初期で、今なら内視鏡でペロッと取れると言われたことが心の救いになっていたような気がします。

中咽頭がんの放射線治療機器が横浜南共済病院に無いので、食道のがんは横浜南共済病院、中咽頭がんは横浜市立大学附属病院となります。両方とも横浜市立大学附属病院で行うという選択肢は無かったのでしょうか?

あったのかもしれませんが、食道は早期発見なので、一刻も早く治療をすることが、優先されると横浜市大の先生から説明されたので。選択はしませんでした。

大学時代の友人たちにがんを知らせると、友達の友達に咽頭がん経験者が見つかり、色々と教えてもらえます。同じ病気を先に経験した人に相談にのってもらえること、経験談を聞かせてもらえることの価値と意義を教えてください。

大学病院の通話ができるところで、本人と一時間近く電話をしました。面識はあり、過去には何度か数人で一緒に飲んだりしたこともありましたが、数十年会ってはいませんでした。後でわかりましたが、咽頭癌は癌の中でも患者比率は少なく、経験者の意見を聞けたのは本当に貴重でした。また、彼女が非常にポジティブなので、それも助かりました。

2016年1月横浜市立大学附属病院の主治医から、抗がん剤治療の第2クールがきついけど、乗り越えると期待が持てると言われ、やる気になります。凄くポジティブになったと伺いましたが、この時の心の動きを教えてください。

「心頭滅却すれば火もまた涼し」と言う言葉が頭の中に浮かびました。

まず、内視鏡により、食道のがんを切除します。これは切除してしまえば、抗がん剤治療は必要なかったのでしょうか?

本当に初期だから(大きさでいうと五百円玉が二つくらいの大きさ)と言われたので、取っちゃえばいいのかなと医師の言われるまま信じていました。

胃ろうの設置を受けます。どのようにして設置されたのでしょうか?痛かったですか?胃に穴が開いている状態というのは、怖い感じですか?

手術でプラスティック上の管を胃に直結しました。術後はしばらく痛みがありました。
胃ろうは正直不安が色々ありました。前述の女性は上手くいかず、結局鼻から栄養剤を入れていたと聞いていました。ただ、治療のためと前向きにとらえました。

治療前に口腔外科で歯を抜くことに抵抗感はありませんでしたか?

全くありません。

放射線治療はいかがでしたか?

最初のころは何も変化がなく、ただ受けている感じでしたが、徐々に喉の周辺部分がただれてくると、痛みと鬱陶しさが、日を追うにつれ増していきました。

抗がん剤治療(ドセタキセル、フルオロウラシル、シスプラチン)ですが、なぜ同じ薬を使って第1クールはさほど副作用が強くないのに、第2クールでは、40℃以上の発熱、悪寒、吐き気等が起こるのでしょうか?

全くわかりません。

胃ろうを使って栄養剤を入れることは、腕に点滴で薬を入れていくのと似ていると言われました。それでもイメージが湧かないので、胃ろうを使って栄養剤を注入するやり方について、どんな感じか教えて頂けますか?

なかなか表現しづらいのですが、直径約5mmの管が胃から繫がれており、そこから栄養剤を入れていきます。感覚としてはお腹に栄養剤が入っていく感じはします。

松井さんにとってマコちゃん(子猫)はどんな存在ですか?

「愛娘」です。

松井さんが放射線治療と抗がん剤治療で入院されている時、奥さまはどんなご様子でしたか?

毎日病院に見舞いに来てくれました。我儘な私のリクエスト(ex「大河ドラマを録画してBRに落として持ってきて」)とか、色々に対して何も愚痴も言わず答えてくれました。

退院後、食生活に苦労されます。唾液が出にくく、しかも味覚障害がある。食事が上手く取れないことに、どんなお気持ちでいましたか?

「辛い」という感覚です。

退院直後、だ液が通常の4割くらいしか出ないことが解ります。あれから2年経ち、今はどれくらいまで回復されたのでしょうか?

先日定期的な治療に行った際は、若干回復しているといわれましたが、4.2割くらいだと思っています。

味覚障害については、現在は特に問題ない状態でしょうか?

魚(特に白身魚)に関しては非常に敏感になったままです。生臭いものに過剰反応しています。

口の渇きを抑えるためにマスクが欠かせませんが、復職後、それが理由で「現場応援」のない仕事に変わります。松井さんにとって、これは、嬉しいことですか?残念なことでしょうか?

しょうがないと受け止めています。

治療中、リハビリ中、心の浮き沈みに、どのように向き合いましたか?

「ポジティブシィンキング」です。

中咽頭がんを経験して、いま感じていることは何ですか?

「タバコは百害あって一利なし」です。

がんになって失ったもの、得たものは何ですか?

【得たもの】

  1. 妻・家族・友人等との信頼関係の充実
  2. サバイバーの方々との交流
  3. 体調管理

【失ったもの】

  1. 唾液
  2. 味覚
  3. 体力

大切にしている言葉は何ですか?

シンプル・イズ・ザ・ベスト

現在治療中の方々に伝えたいことを教えてください。

医学は日々進歩しています。もはや癌は不治の病ではありません。

松井さんが、いま、やられていること、今後、やろうとされていること、やりたいことは何ですか?

リフレッシュは国内旅行。

がん患者がしてはいけないこと

自暴自棄になること

がん患者がするべきこと 

前向きになること

周囲から掛けられた言葉で、嬉しかった言葉

  1. 大学時代の友人から、知り合いが何人か癌を経験しているが、みんな克服しているから頑張れ!
  2. 同じ癌を経験した大学時代の同級生から、今のうちに美味しいものをたくさん食べときな!と言われた。

復職する際に大切なこと

自分のことを正確に把握した上で、できることとできないことを、はっきりと会社に伝える事

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取材:大久保淳一

この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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