浸潤性乳管がん トリプルネガティブ 遺伝性乳がん(BRCA2異変)サバイバー 依田福恵さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】依田福恵さん 乳がん ステージ1 サバイバー(トリプルネガティブ)
- 第1話「乳がんの確定診断」
- 第2話「幼少から社会人になるまで」
- 第3話「母のがん」
- 第4話「交際相手のレントゲンに写る影」
- 第5話「交際相手のがん」
- 第6話「がんの転移」
- 第7話「唐突な知らせ」
- 第8話「全摘か部分摘出か」
- 第9話「始まったがん治療」
- 第10話「左胸の全摘と乳房の同時再建」
- 第11話「抗がん剤治療と復職」
- 第12話「色々なことが起こった2年を越えて」
第9話「始まったがん治療」
孝之さん(仮名)の死を伝えられた後日、乳がんの告知を受けた東京都東村山市在住の依田福恵さん(54歳、2014年当時49歳)は、混乱を極めた。孝之さんという精神的な支柱を失った中で、自らのがん治療が始まる。
依田さんは契約社員という立場だったがためらわず、会社にがんを発症していると伝えた。
「教えてくれてありがとう。早く良くなってまた戻ってきてほしい」
上司である所長から温かい言葉をかけられた。
一方、孝之さんが事務所として使ってきた2人のマンションの処理は大変だった。
家主に報告し解約手続きを行い、会社の大事な資料は部下の人に引き渡す。2人の生活のためにそろっていた家具や家電製品のほとんどを粗大ごみとして処分しなくてはならない。
友人に手伝ってもらい少しずつこなした。
まだ大切な人の死を実感できない。
22年間の思い出の品を捨てることは断腸の思いだった。
あっと言う間に時間が過ぎ、2014年11月17日、手術のために入院した。
依田さんは左胸の全摘と同時再建の手術を選んだ。
「あなたの場合、部分切除だと引っ釣れたような形になって、わかる人には解っちゃうかもしれないなあ。あまり目立たないとは思うけど。でもそれが気になるなら全摘してお腹にある組織を取ってきて再建しちゃえば、お腹もスッキリするしいいんじゃないかな」
なんとも失礼なようで、でもわかりやすい説明を医師から受けていた。
説明の雰囲気から乳房の全摘と同時再建がお勧めのように聞こえ簡単な手術のように感じた。
また、むかし乳房を全摘した母親が取りっぱなしの胸でいるのをみるたび嫌だなと思っていた。
さらに部分摘出の場合、その後1ヶ月も放射線治療を受ける必要があると聞き部分切除を嫌った。
だから胸の全摘と乳房の同時再建を選んだ。
そうは言っても本物の胸を失うショックは大きい。
もし孝之さんが生きていて、そばにいてくれたなら「そんな胸の1つや2つ、なんてことないじゃん」と明るく言ってくれるはずなのに、その人がいない。
寂しい想いを引きずったまま入院した。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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