大腸がん(直腸がん) ステージ4 サバイバー 安谷さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】安谷恵美子さん 大腸がん(直腸がん) ステージ4
- 第1話「神経性腸炎か過敏性腸炎?」
- 第2話「改善されないお腹の痛み」
- 第3話「腸閉塞での人工肛門。直腸がんと肝臓への転移」
- 第4話「CVポートでの抗がん剤治療(FOLFIRI療法)」
- 第5話「2度目の手術。腹腔鏡での直腸切除、転移のある肝臓切除。」
- 第6話「後半6クールの抗がん剤治療。家庭への不安。」
- 第7話「順調ではない経過」
- 第8話「続く頻繁な下痢(げり)」
- 第9話「再発した大腸がん」
- 第10話「かわり始めた家族のかたち」
第7話「順調ではない経過」
2014年4月に始まった腸閉塞(ちょうへいそく)から、人工肛門設置手術、抗がん剤治療、そして直腸と肝臓の一部を切除する手術を受けた熊本県熊本市在住の安谷恵美子さん(51歳、2014年当時49歳)は、手術後の抗がん剤治療6クールを終え、人工肛門もなくなっていた。
2015年2月、女子駅伝の日。
これは5人が一組になり、一人が2.3kmを走り襷(たすき)をつなぐ地元の駅伝だ。
ランニング教室からは7チームほど出たので40人くらいの友人・知人たちが集まっていた。
大会会場に行くと、みんなから「良かった、よかった」と復帰を祝福された。
なかには涙を流しながら泣いているランニング友達すらいた。本当に嬉しかった。
再び普通の生活を取り戻しつつあると感じていた。
ただ週に2~3回ゆっくり走る体力はあるのだが、フルタイムで毎日仕事に行くだけの体力の自信はなく仕事復帰はまだまだだった。
毎月病院に行き検査を受けて経過を診る生活を送っていた。
だが経過は必ずしも順調ではなかった。
3月に撮影したCT画像検査では「肺に影が見える」として呼吸器内科で詳しく調べられる。
その後、脚の関節が腫れだし「リュウマチの恐れがある」と検査が行われた。
“がん”再発ではないのだが病院に行く機会が多かった。
大腸がんだけでもつらいのに何か他の病気もあるのではないかと思うと怖かった。
一方、徐々に体力が回復してきたので11月に仕事に復帰した。
安谷さんの仕事はコンビニエンスストアでパンを焼く仕事だったが、それに戻った。
一時は失うだけの生活だったが、またひとつ病気前にやっていたことを取り戻した。
そして年が替わり2016年2月。
恒例の「熊本城マラソン2016」を走った。
復帰を目標としていた大会で、人生3回目のフルマラソン参加。
がんをした後もこうして42.195kmのフルマラソンを走れるようになったことは格別だ。
色んなことがうまく回り出した時の事だった。
2016年4月14日夜
あの“熊本地震”が起きた。
激しい揺れともにせっかく取り戻しつつある大切な“日常”が再びうばわれた。
次のページを読む >> 第8話「続く頻繁な下痢(げり)」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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