大腸がん(直腸がん) ステージ4 サバイバー 安谷さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】安谷恵美子さん 大腸がん(直腸がん) ステージ4
- 第1話「神経性腸炎か過敏性腸炎?」
- 第2話「改善されないお腹の痛み」
- 第3話「腸閉塞での人工肛門。直腸がんと肝臓への転移」
- 第4話「CVポートでの抗がん剤治療(FOLFIRI療法)」
- 第5話「2度目の手術。腹腔鏡での直腸切除、転移のある肝臓切除。」
- 第6話「後半6クールの抗がん剤治療。家庭への不安。」
- 第7話「順調ではない経過」
- 第8話「続く頻繁な下痢(げり)」
- 第9話「再発した大腸がん」
- 第10話「かわり始めた家族のかたち」
第6話「後半6クールの抗がん剤治療。家庭への不安。」
直腸にできた腫瘍が原因で腸閉塞になり人工肛門を設置する手術を受けた熊本県熊本市在住の安谷恵美子さん(51歳、2014年当時49歳)は、抗がん剤治療のあと2014年8月に直腸を切除する手術と肝臓の手術を受けた。その後再発を予防するために再び抗がん剤治療を受けることになった。
後半6クールの抗がん剤治療はしくしくと行われ2014年11月に最後の投与が行われた。
合計12クールの抗がん剤治療を安谷さんはやり遂げた。
そして11月終わりに人工肛門を落とし元に戻す手術が行われた。
3度目の手術で4回目の入院となった。
無事、人工肛門から元に戻ったのだが、正直この後の生活がとても気になっていた。
なぜなら事前にインターネットで情報検索をしたら、肛門をもとに戻す手術をした後は1日に10回ほど下痢(げり)になり頻繁にトイレに行く生活になるという書き込みがあったからだ。
しかし、安谷さんの場合そこまではなかった。
むしろスッキリした気持ちになれた。
「これで再び走れる。自分を待ってくれている皆のところに行ける」そんな思いだった。
年が明け2015年1月からジョギングを再開したがまったく走れなかった。
筋力が衰えているし、体重が7kgも増え身体が重くて仕方がなかった。
目標としている2月の女子駅伝までに走れるようになるか不安だった。
安谷さんのもう一つの不安は家族の事だった。
なぜなら安谷さんのご主人は寡黙な人で口数が少ない。
二人の間の会話が少なくお互いがお互いを理解できているかよく解らないのだ。
無口な人だから二人の娘は父親と話そうとしない。
だから家庭内では会話らしい会話が少ない。
自分が“がん”になり色んなことが変わってしまったのに「会話の少ない家庭」に変わりない。
「大丈夫?」と声をかけられることも無ければ、体調について聞かれることもない。
多分夫は自分が妻のことを心配していることは言わなくともわかってもらえるだろうと思っているのだろうが、何も話さないから本当のところは解らない。
「もっと心配してほしい」という気持ちが安谷さんにはある。
会話の少ない家庭は安谷さんが求めている患者家族のあり方からは程遠い感じなのだ。
つらい…。つらいからそのことを友人にもらす。
「がん患者は孤独だ。でも私の場合、それに輪をかけて孤独だ」
がんになりがん患者として生きていくのに、家のなかは淡々としていて何も声掛けのない状態。
こんな事でいいのか…と大きな不安を抱えていた。
次のページを読む >> 第7話「順調ではない経過」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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