大腸がん(直腸がん) ステージ4 サバイバー 安谷さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】安谷恵美子さん 大腸がん(直腸がん) ステージ4
- 第1話「神経性腸炎か過敏性腸炎?」
- 第2話「改善されないお腹の痛み」
- 第3話「腸閉塞での人工肛門。直腸がんと肝臓への転移」
- 第4話「CVポートでの抗がん剤治療(FOLFIRI療法)」
- 第5話「2度目の手術。腹腔鏡での直腸切除、転移のある肝臓切除。」
- 第6話「後半6クールの抗がん剤治療。家庭への不安。」
- 第7話「順調ではない経過」
- 第8話「続く頻繁な下痢(げり)」
- 第9話「再発した大腸がん」
- 第10話「かわり始めた家族のかたち」
第4話「CVポートでの抗がん剤治療(FOLFIRI療法)」
2014年4月に腸閉塞(ちょうへいそく)によるお腹の痛みから救急で国立病院機構熊本医療センターに運ばれ人工肛門を設置する手術を受けた熊本県熊本市在住の安谷恵美子さん(51歳、2014年当時49歳)は、腸閉塞になった原因ががんであると知らされ、まず抗がん剤治療を受けることになった。
あわただしい毎日だった。
手術して10日後には胸にCVポートを取り付けるオペが行われ、さっそくその次の日にCVポートから薬を入れる抗がん剤治療が始まった。
それは3種類の抗がん剤を用いるFOLFIRI(フォルフィリ)療法だった。
この頃の安谷さんは異常なまでに音に敏感になっている。
寝ていても周囲でちょっとした物音がするとビクッとしてすぐに目が覚める。
急に入院病棟で過ごす生活になり最初の頃はすべてが慌ただしかった。
その後、人工肛門の取り扱いに安谷さんが慣れてきた入院3週間目に退院する。
残りの抗がん剤治療5クールは外来で抗がん剤の投与を受け、そのあと自宅に戻るという通院による治療に替わった。
2014年5月。
3クール目の抗がん剤治療を受けに病院に来た時だった。
この日は別の薬アバスチンを追加すると言われその点滴を受けた。
それから自宅に戻ると急にお尻の肛門から突き上げられるような痛みが走り出し具合が悪くなる。
病院に電話し急いで診てもらうと、そのまま入院となった。
これで2回目の入院。
薬が安谷さんには強すぎて合わなかったのだ。
熱もあったので解熱鎮痛剤を投与され抗生剤も使われた。
抗がん剤の強さに驚くとともに怖くなった。
最初に緊急入院をしたとき、勤務先のコンビニ店の店長には安谷さんのご主人から「腸閉塞で入院しました」とだけ伝えられていたが、この頃には“がん”が見つかり抗がん剤治療を受けていると説明した。
そしていつ仕事に戻れるかわからないから、無期限で休職することを許可してもらった。
安谷さんの生活が一変していた。
次のページを読む >> 第5話「2度目の手術。腹腔鏡での直腸切除、転移のある肝臓切除。」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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