大腸がん(直腸がん) ステージ4 サバイバー 安谷さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】安谷恵美子さん 大腸がん(直腸がん) ステージ4
- 第1話「神経性腸炎か過敏性腸炎?」
- 第2話「改善されないお腹の痛み」
- 第3話「腸閉塞での人工肛門。直腸がんと肝臓への転移」
- 第4話「CVポートでの抗がん剤治療(FOLFIRI療法)」
- 第5話「2度目の手術。腹腔鏡での直腸切除、転移のある肝臓切除。」
- 第6話「後半6クールの抗がん剤治療。家庭への不安。」
- 第7話「順調ではない経過」
- 第8話「続く頻繁な下痢(げり)」
- 第9話「再発した大腸がん」
- 第10話「かわり始めた家族のかたち」
第2話「改善されないお腹の痛み」
2013年の秋から時々下痢(げり)が起こり近所のクリニックで神経性腸炎(或いは過敏性腸炎)と診断された熊本県熊本市在住の安谷恵美子さん(51歳、2013年当時48歳)は、お腹の痛みは我慢しようと思えば我慢できるのでそのままにして生活していた。
2014年4月。
この日はコンビニエンスストアで働いていたパート仕事が休みの日だった。
自宅で家事をこなしていると急にお腹が痛くなった。
出産のときの陣痛のようで定期的に痛みがやってきて、動くこともままならない状態になった。
この1週間便秘気味だったが、いまの痛みは便秘の不快さとは比べ物にならない。
近所に住む義理の両親が運転する車で胃腸科専門のクリニックに連れていってもらった。
お腹のレントゲン写真を撮影し胃腸薬とマグミット薬(便を柔らかくする薬)を処方され自宅に戻る。
しかし状況は一向に改善されず、午後になると口から吐き出すほどだった。
強い吐き気と陣痛のようなお腹の痛みを感じるが、様子を見ようと2時間程我慢していた。
「そのうち痛みは治まるんじゃないか…」そんな気持ちだった。
しかし体調は悪くなる一方で、帰宅した大学生の次女に救急車を呼んでもらう。
人生で初めての救急車。
ともかく助けてほしい…そんな思いで乗り込んだ。
救急車は安谷さんを国立病院機構熊本医療センターに運んだ。
到着し救急搬送室で医師が大腸内視鏡を入れるのだが、なかなか入らない。
あまりの痛みで意識がもうろうとする中、映し出される自分の腸をモニター画面で確認した。
そこに現れたのはグロテスクに“もこもこ”とした恐ろしい感じの直腸の画像だった。
腸の内壁が腫れあがり中の空洞をふさいでいた。
「これはひどい…」
見た瞬間にいくらなんでも単純なものではないだろうことは素人の安谷さんにもわかった。
安谷さんの母親はちょうど1年前に直腸がんを患った。
その頃、母親の病気について知りたくて大腸がんに関するテレビ番組を見たが、それは腸の内壁にポリープができたものでポツンとこぶがある程度だった。
しかし、いま自分が観たモニター画像は全く違う。
“がん”ではないか…?
直感的にそう感じた。
そして安谷さんのお腹の痛みは、腫れあがった腸の内壁が便の流れをふさいでしまったために起こった「腸閉塞(ちょうへいそく)」だった。
脂汗が出て激しい痛みの中、救急搬送室で様々な検査を受けていた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
>>NPO法人5yearsの組織概要はこちら
-Sponsored-