大腸がん(直腸がん) ステージ4 サバイバー 安谷さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】安谷恵美子さん 大腸がん(直腸がん) ステージ4
- 第1話「神経性腸炎か過敏性腸炎?」
- 第2話「改善されないお腹の痛み」
- 第3話「腸閉塞での人工肛門。直腸がんと肝臓への転移」
- 第4話「CVポートでの抗がん剤治療(FOLFIRI療法)」
- 第5話「2度目の手術。腹腔鏡での直腸切除、転移のある肝臓切除。」
- 第6話「後半6クールの抗がん剤治療。家庭への不安。」
- 第7話「順調ではない経過」
- 第8話「続く頻繁な下痢(げり)」
- 第9話「再発した大腸がん」
- 第10話「かわり始めた家族のかたち」
第1話「神経性腸炎か過敏性腸炎?」
「何があっても死ぬ気がしない!自分が弱気になった時があぶないと思います」
力強いその言葉がとても頼もしかった。
熊本県熊本市在住の安谷恵美子さん(51歳、2012年当時47歳)は、2012年の春に友人から熊本城二ノ丸公園で行われているランニング教室に誘われた。
一瞬「えー、私がランニングなんて…」と抵抗したが二人の娘が高校まで陸上部の長距離の選手だったこともあり「じゃあ、一度、行ってみようかな」と気軽に参加する。
行くと30代の若い女性コーチから「フルマラソンを走れるようになりますよ」と言われ驚いた。
そんなつもりはないし、子供のころから「走る=つらいもの」と信じていたからだ。
二ノ丸公園に行くと安谷さんを入れて7人が集まった。その中で最も若かったが、一番走れなかった。
その悔しさが原動力になりその後練習を積む。
9月には10kmの大会を走り、11月には熊本市杯金峰三山山岳マラソンの16kmの部に参加し走力をつけていった。
しかし、初心者なのに急に負荷の高い練習をしたため、翌2013年1月には脚の腸脛靭帯が炎症し故障してしまう。
にもかかわらず翌2月、地元の「熊本城マラソン2013」のスタートラインに立った。
目標としてきたフルマラソン大会だったからだ。
当日は走り出して6kmの地点でひざに痛みを感じ、鎮痛剤のロキソニン薬を飲む。
後半は足底が痙攣(けいれん)を起こしているのに歩き続け、6時間半で完走した。
つらくて痛かったけど自分に納得できていない。
来年の大会にも参加して今度はタイムを縮めたいとランニングに熱が入った。
それから半年以上経ち、この年(2013年)の秋頃から頻繁に下痢(げり)をしだす。
体調があまり良くなくお腹が痛くなることもあった。
たまらず近所のクリニックで診断してもらうと、確か「神経性腸炎」か「過敏性腸炎」と言われ薬を処方された。詳しい検査はなく、そのままやり過ごすことになる。
この頃の安谷さんの最大の関心事は翌年2月に開催される「熊本城マラソン2014」だった。
1年前の悔しさを晴らす大会だ。
ときどきある下痢のことは気に留めず大会に向けて走り込んだ。
そして2014年2月16日、二度目の熊本城マラソンを目標の5時間半を切って完走する。
練習が報われた感じで素晴らしい達成感を味わえた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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