胃がん ステージ1b サバイバー 吉田さんのがんに関するストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】吉田洋一さん 胃がん ステージ1b
- 第1話「悪性腫瘍の告知と胃の全摘の可能性。」
- 第2話「しめつけられるような心臓の痛み」
- 第3話「胃潰瘍の痕と内視鏡検査」
- 第4話「病理検査の結果。がん告知」
- 第5話「治療のことで悩むなんてしたくない」
- 第6話「ひとつひとつ取り戻す生活へ」
- 第7話「小さなことの積み重ね」
- 第8話「過酷なレースへの挑戦」
第7話「小さなことの積み重ね」
8月に内視鏡による手術、10月に腹腔鏡による手術と2度の手術を受けた北海道江別市在住の吉田洋一さん(58歳、2009年当時50歳)は、退院し自宅に戻り大好きなお酒を飲んだ。
手術を受ける前に受けたリスク説明によると手術後に何らかの拒否反応が生じれば、飲食したものの味が変わるかもしれないと伝えられていた。
しかし何も変わっていない。
こういった小さなことの積み重ねが大きな自信となる。
吉田さんが大切にしていたもう一つの日常はランニングとマラソン大会への出場だ。
病院の階段登りができた今、走ってみたかった。
退院して2日目、吉田さんは自宅近くで直線距離200mが取れる道を走ってみた。
いわゆる「200m」のインターバル走をジョギングより遅いペースで5本、走ってみた。
「いける。また出来るぞ!」
体力的には手術前の4割程度だが、十分またランニングを楽しめると感じた。
一方、仕事はというと11月4日に復職する。
経理部の仕事は毎月4日目からが忙しくなる。
その時期までに会社に戻れたことで周囲の人たちにそれほど迷惑をかけなかったことが更に自信となった。
マラソンはというと12月には月間300kmを走り込み急ピッチの回復をしていた。
この頃、奥様から「顔がやつれているわよ。無理してんじゃないの?」と言われハッとする。
確かに疲れていたが、無理ができる身体にまで戻せたことが嬉しかった。
「ごめんね。でもこれが幸せなんだ。だから続けるよ」
年が明け1月、体力的には手術前の状態にまで戻せたと感じる。
そして例年の「伊達ハーフマラソン(4月18日)」で自己ベストに3分と迫る1時間29分で完走してみせる。
驚異的な回復だった。
5、6月とさらに走り込み、10ヶ月前にがんの手術を受けた人とは思えない元気さだった。
7月、いよいよ昨年の無念を晴らすための「富士登山競走」大会が近づいてきた。
自分の思いをぶつける舞台がやってきた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
>>NPO法人5yearsの組織概要はこちら
-Sponsored-