胃がん(腺がん、上皮内)ステージ1 サバイバー 中村玲子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】中村玲子さん 胃がん ステージ1 サバイバー
- 第1話「夫婦での起業と子育て」
- 第2話「全力で走っていた40代」
- 第3話「子育てと仕事と」
- 第4話「急な声のかすれ」
- 第5話「胃がん宣告」
- 第6話「草津総合病院へ」
- 第7話「腹腔鏡下手術(幽門側胃切除)」
- 第8話「ダンピング症状」
- 第9話「がんから2年が経って」
第7話「腹腔鏡下手術(幽門側胃切除)」
2015年6月、急に声が出にくくなったため耳鼻科クリニックを受診、その後、草津総合病院で診察を受けた滋賀県在住の中村玲子さん(70歳、2015年当時68歳)は、がんを宣告された。
そして、草津総合病院で外科手術を受けることになった。
中村さんが受ける手術は、幽門側胃切除と言うもので、腹腔鏡下手術だ。
胃の2/3を切る予定。
病名は胃がん(腺がん、上皮内)、進行ステージ1というもの。
そして、手術は9月3日に予定され、それまでの4週間、普通に生活した。
三女と孫娘、そして生れたばかりの3人目の孫に囲まれ忙しい毎日。
孫をお風呂に入れるのが中村さんの役割。
この頃、会社関係の来客が頻繁にあり、社員とも毎日顔を合わせていた。
更に、かわいい孫たちに囲まれ楽しい毎日だから、手術までの期間、一人で不安になるようなことは無く助かった。
そして迎えた2015年9月3日、手術の日。
手術着に着替えた中村さんは昼過ぎにオペ室に入る。
約4時間45分、胃の切除は当初の予定(2/3)まで及ばず、半分の切除で済む。
無事に手術を終え、ICU(集中治療室)に移った中村さんは意識が戻る。
目が覚めた時「あー、大丈夫だった」そう感じた。
ただ、身体から管が何本も出ていて腰がちぎれそうに痛い。あまりにも痛くて動くことも出来ない。
でも「もう、これからは、どんどん良くなっていくだけなんだから…」と前向きにとらえた。
翌日、ICUから自分の病室に戻れた。
それから…、
次女が毎日のように孫と一緒に見舞いに来た。
車で50分かかる道のりをやって来て洗濯物を持ち帰ったり、必要なものを買ってきてくれたりと世話をしてくれる。
本当にありがたかった。
病院では、当初点滴で栄養を取っていたが、9月7日から少量のお茶、8日には重湯(おもゆ、おかゆのどろどろしたもの)と食事に替わっていく。
しかし、それが食べられない。
「(全部)食べられなくても心配ないよ。一口食べただけでも、すごいことじゃん」次女が褒める。
でも、食べると毎回吐いてしまった。
がんばって食べても、胃がムカムカしてきて、結局、吐いてしまう毎日。
「(胃を)切ったら治ると思ってたのに…」
手術後の食生活が、こんなにも大変だとは知らなかった。
しょげる中村さんを、娘と孫たちが励ます。
あまりにも頻繁に吐くので『胃がん手術後の生活読本』という本を長女が買ってきた。
読んでみると胃が半分しかないので十分に機能せず消化不良がおこり、腹痛や胃痛、下痢や便秘が起こるという。
そして、これが「ダンピング症状」であると書いていた。
患者によって症状も対処法も様々のようだ。
気長に付き合うしかないと思った。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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