胃がん(腺がん、上皮内)ステージ1 サバイバー 中村玲子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】中村玲子さん 胃がん ステージ1 サバイバー
- 第1話「夫婦での起業と子育て」
- 第2話「全力で走っていた40代」
- 第3話「子育てと仕事と」
- 第4話「急な声のかすれ」
- 第5話「胃がん宣告」
- 第6話「草津総合病院へ」
- 第7話「腹腔鏡下手術(幽門側胃切除)」
- 第8話「ダンピング症状」
- 第9話「がんから2年が経って」
第6話「草津総合病院へ」
2015年6月、急に声が出にくくなったため耳鼻科クリニックを受診、その後、草津総合病院で診察を受けた滋賀県在住の中村玲子さん(70歳、2015年当時68歳)は、がんを宣告された。
胃がんの告知…。
あまりにも唐突な知らせを一人で聞いた。
そして、医師がこう言う「すごく早い段階ですから、手術をしたら大丈夫です」
診察室をあとにした中村さんは、まず、京都の病院に勤めている長女に電話した。
事の次第を聞いた長女は驚き、「今から滋賀に向かうから、ちょっと待っててね」そう言って電話を切り、母親のもとへ向かう。
長女を待っている間、中村さんはいつも連絡を取り合っている家族のLINEを使い、次女、三女、そして夫に「胃がん」を伝えた。みんな、一様に驚き、びっくりしている。
ただ、中村さんが不安になったり、暗くならないようにと「大丈夫、大丈夫」と明るく連絡してくる。
不安な母親を全力で支えようとする家族。
ありがたいと思うと同時に嬉しかった。
長女は、いつも学会でお世話になっている医師に相談し、滋賀で治療を受けるのであれば、滋賀医科大学医学部附属病院か、草津総合病院が良いと勧められた。
その上で、紹介状も書いてくれるという。
自宅に戻り、落ち着いてみんなで相談し、手術は医療機器も最新で充実していて評判のいい草津総合病院の消化器外科にお願いすることにした。
3人目の孫が生まれたばかりの8月、中村ファミリーに衝撃が走った日だった。
そう言えば、1年前に96歳の父親が他界した。
母が他界した後、一人暮らしで何となく元気がなかった父親、そんな父の世話をしたことを思いだす。
「(父が生きているうちに、私のがんが見つからなくてよかった)父を悲しませずに済んだ…」そう感じた。
8月8日、琵琶湖を彩る大津の「びわ湖大花火大会」の日。
例年通り、家族で長女のマンションに集まり、琵琶湖の花火を見た。
ドーン、ドーン、大きな美しい花火が夜空に上がる。
それを眺めながら、8月が誕生月の中村さんはこう思う。
「今年の誕生日は、すごいプレゼント(=胃がん)をもらってしまった…」
でも、夫や子供、子供の旦那さんたちでなく、自分でよかった…、そう思った。
胃がんの告知をうけた翌週、中村さんは長女と一緒に草津総合病院・消化器外科を訪問。
担当したのは院長先生で、60代の明るく、感じのいい男性医師だった。
「(がんは)初期ですので、ここで解かったのはラッキーです。手術は、僕が執刀します」
そう力強く言われ、安心してお任せしようと思った。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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