胃がん(腺がん、上皮内)ステージ1 サバイバー 中村玲子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】中村玲子さん 胃がん ステージ1 サバイバー
- 第1話「夫婦での起業と子育て」
- 第2話「全力で走っていた40代」
- 第3話「子育てと仕事と」
- 第4話「急な声のかすれ」
- 第5話「胃がん宣告」
- 第6話「草津総合病院へ」
- 第7話「腹腔鏡下手術(幽門側胃切除)」
- 第8話「ダンピング症状」
- 第9話「がんから2年が経って」
第5話「胃がん宣告」
2015年6月、急に声が出にくくなりガラガラ声になってしまった滋賀県在住の中村玲子さん(70歳、2015年当時68歳)は、耳鼻科クリニックで診察され蓄膿症と言われた。しかし、納得できず草津総合病院で診てもらうと逆流性胃腸炎の可能性があるとして胃の内視鏡検査を受けることになった。
中村さんには2人の孫がいた。
次女の娘と三女の娘、孫は二人とも女の子だった。
眼に入れても痛くないほど、かわいい。
そしてこの年(2015年)7月には三女の二人目の子供、つまり中村さんの3人目の孫が生まれる予定だった。
娘と孫たちの役に立ちたい…、そんな想いから、7月は出産後のお世話で忙しくなる見込みだ。
だから胃カメラは出産予定日よりも前に行い、スッキリして迎えたかった。
2015年7月3日、草津総合病院。
中村さんは、内視鏡検査を受ける寝台の上で横になった。
痛くないか不安だったが医師は上手に内視鏡を操り、検査はあっという間に終了。
その後、診察室に戻り、医師と話したが何か特別なことを言われた記憶はない。
逆流性胃腸炎の薬を処方され、結果は1ヶ月後に知らされることになった。
この日は、ただそれだけのことだった。
そして6日後、三女の2人目の娘が無事に誕生。
幸せいっぱいの中村さんは、娘と孫たちのお世話で大忙しになった。
子育てと会社の仕事に追われた30代、PTA活動をがんばった40代、商工会役員の50代、民生児童委員の仕事をこなす60代。
そして今、可愛らしい孫たちに囲まれ、幸せな毎日。
2015年の夏は中村さんにとって思い出深い、至福の時間だった。
2015年8月6日、草津総合病院。
胃の内視鏡検査から1カ月が過ぎたので予定通り検査結果を聞きに行った。
一人で診察室に入る。
医師に、この前の検査結果を聞くと…、若い男性医師はサラッと言った。
「2cmの、がんが見つかりました」
一瞬耳を疑った中村さんは、「えっ、誰ですか…?私ですか?」びっくりして、そう聞き返す。
自覚症状が無いし、がんなんて全く想像していないから、泣くとか、パニックになるというまでに到らない。
「じゃあ、どうすれば、いいのでしょう?」
解らないことだらけの中、なんとか質問していた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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