胃がん(腺がん、上皮内)ステージ1 サバイバー 中村玲子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】中村玲子さん 胃がん ステージ1 サバイバー
- 第1話「夫婦での起業と子育て」
- 第2話「全力で走っていた40代」
- 第3話「子育てと仕事と」
- 第4話「急な声のかすれ」
- 第5話「胃がん宣告」
- 第6話「草津総合病院へ」
- 第7話「腹腔鏡下手術(幽門側胃切除)」
- 第8話「ダンピング症状」
- 第9話「がんから2年が経って」
第3話「子育てと仕事と」
1981年、34歳の時に夫婦でクレーン車の会社を興した滋賀県在住の中村玲子さん(70歳、1996年当時48歳)は、3人の娘の子育て、家事、会社の仕事と充実した40代を送っていた。
末娘が小学校6年生になると、中村さんに転機が訪れる。
小学校の保護者会の副会長になったのだ。
長女の時も、次女の時も、まだ幼い三女がいたので学校の役員をする時間的余裕はなかった。
しかし、三女がいよいよ小学校の高学年生になり、子育てもかつてほど大変ではなくなってきた。
だから、役員を引き受けた。
すると小学校だけではなく、三女が中学生になると中学校の役員、高校に進学すると高校の役員と要職を任された。
中村さんのお人柄と意気投合した高校の校長先生は3役(校長、PTA会長、PTA副会長(=中村さん))で構成する“いずみの会”という連絡会を作り、それは、その後も続いていく。
学校側とPTA保護者会側がうまく運営される素地となった。
中村さんの子育てのモットーは、子供たちが大学を卒業するまでは、それぞれの夢の実現のために親として全力でサポートすること。仕事が忙しいとか言い訳せずに、最大の愛情を娘たちに注ぎ応援した。
一方、クレーンの会社はというと…、ビジネスは順調に拡大し、1996年にはオフィスを新設する。
中村さん夫婦は48歳になっていた。
この頃になるとクレーン車と営業車を合わせると20台以上になっていて、駐車するための広大な土地が必要だった。
だから、中村さん夫婦は500坪の土地を購入し、そこにオフィスを新設。
1階を会社の事務所、2階から上を家族の家にした。
当時、9桁の借金があったが、バブルの絶頂期で、あまり気にならなかった。
高校のPTA副会長職の任期が終わるころ、地元の商工会から役員を任される。
女性部長として商工業に携わる女性のスキルアップ活動や癒しの場の新設と活躍。
10年間、58歳になるまで一生懸命頑張った。
「もう、60歳も見えてきたし、そろそろゆっくりしてもいいかな…」
そう思っていたら、今度は民生児童委員の職を任される。合計9年、後半の6年間は、副会長。
民生児童委員は地味な活動だが、障害者・高齢者など社会弱者の問題が山積みで、多忙極まる。
60代の大半の時間を民生児童委員として元気に活動していた。
大きな病気知らずの60年間だった…
そんな、2014年、67歳のとき、長女から「お母さん、がん保険に入っておきなよ」そう言われる。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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