胃がん(腺がん、上皮内)ステージ1 サバイバー 中村玲子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】中村玲子さん 胃がん ステージ1 サバイバー
- 第1話「夫婦での起業と子育て」
- 第2話「全力で走っていた40代」
- 第3話「子育てと仕事と」
- 第4話「急な声のかすれ」
- 第5話「胃がん宣告」
- 第6話「草津総合病院へ」
- 第7話「腹腔鏡下手術(幽門側胃切除)」
- 第8話「ダンピング症状」
- 第9話「がんから2年が経って」
第1話「夫婦での起業と子育て」
食べては吐き、食べては、また吐き出す毎日。
「(胃を)切ったら治ると思ってたのに…」
手術後の食生活が、こんなにも大変だとは知らなかった。
滋賀県在住の中村玲子さん(70歳、1981年当時34歳)は、同じ年のご主人と23歳で結婚。
その後、3人の娘が生まれ幸せな5人家族の家庭を築く。
当時、兄弟で造園業を営んでいた夫が、庭の石を移動させるクレーン車の免許を取った後、こんなことを言った。
「クレーン車の会社を作りたいんだ…」
三女がまだ4歳の時で、専業主婦だった中村さんには唐突な話だった。
お金がどれくらい必要なのか?建設の仕事なんて全く知らない世界。
何より子供たちがまだ、10歳、7歳、4歳と幼いのに、生活をやっていけるのか?
でも、反対しなかった。「この人(夫)の人生、やりたいと言うんだから、それもいいかな…」
自称“諦めが早い女”の中村さんは、後々、周囲から“度胸のある人”と言われる。
さっそく、クレーン車の購入手配に入ると驚いた。
なんと、1台 1000万円以上し、高いものは5000万円を超える。
銀行に勤めていた友人に頼み込み、なんとか融資を得る。
最初から多額の借金を背負ってしまった。
一方、仕事はというと弟の友人が建設会社に勤めていて現場監督をしていた。
「クレーンの会社を始めたので仕事を回してもらえませんか」
そうお願いすると快諾され、すぐに仕事がやって来る。
事業を始めて半年もしないうちに、中学校の校舎を建設する大きなプロジェクトを紹介される。
学校の校舎建設は、第一期から三期まで3年間にわたり建設計画が組まれた3年がかりの仕事だった。
だから、スタート当初から安定した仕事の依頼が来る。
中村さん夫婦は、周囲の人に恵まれ、機会にも恵まれた。
ただ、生活は大忙しだった。
なぜなら、夫が昼間建設現場でクレーンを操っているから、経理などの事務仕事はすべて妻が請け負う。
不慣れだったパソコンに会計ソフトを入れ、会計処理を行い、銀行からの借り入れ、資金決済、さらに仕事の請負、スケジュール管理もする。
3人の娘の子育てをしながら、これらの仕事をすべてこなしていた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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