びまん性大細胞型B細胞悪性リンパ腫 ステージ2 サバイバー 野崎美穂さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】野崎美穂さん 悪性リンパ腫 ステージ2 サバイバー
- 第1話「ビジネスの場で活躍したくて」
- 第2話「精神疾患の兆候」
- 第3話「体調の変化」
- 第4話「左腕の異変」
- 第5話「リンパ腫の可能性」
- 第6話「胸の縦隔に腫瘍」
- 第7話「悪性リンパ腫の確定診断」
- 第8話「がんセンター中央病院・血液腫瘍科へ」
- 第9話「抗がん剤治療(R-CODOX-M/R-IVAC療法)」
- 第10話「抗がん剤の副作用」
- 第11話「続く抗がん剤治療」
- 第12話「治療終了。寛解~復職へ」
- 第13話「再び活躍の場へ」
第7話「悪性リンパ腫の確定診断」
2015年9月20日に内科クリニックを受診したところ、リンパ腫の疑いを告げられた東京都練馬区在住の野崎美穂さん(43歳、2015年当時40歳)は、9月24日に東京警察病院に行き呼吸器内科で胸腺腫と告げられた。
東京警察病院・呼吸器内科の女性医師から「がんセンターを紹介する」と言われ心が重くなる。
今後は首もと(鎖骨の上付近)にメスを入れて組織を取り出す「生検」を行うという。
その生検は、4日後の9月28日に予定された。
この日帰宅して、夫に伝えた。
静かに「しょうがないよね…」という夫。
心の中の感情を我慢して抑えているようだった。
一方で、病院の結果を気にかけている心配性の母親にもきちんと報告した。
なるべく不安がらせないように気を付けて伝えた。
それから病気についてインターネットで調べるが、1ヶ月くらいで仕事に復帰している人の例がある。
「(胸腺腫に)なってしまったものは仕方がない」
そう割り切った。
2015年9月28日、東京警察病院。
午前中会社で仕事をし、午後から病院に行った。
手術着に着替え、点滴をして、オペ室に向かう。
一気に病人モードになっていた。
生検は1時間ほどかかった。抜糸は1週間後だという。
胸腺腫についてインターネットで調べに調べた。
腹腔鏡による手術、痛そうな情報…、いろいろ出てくる。
一方、会社にも病気のことを伝えておいた。
驚いて「(胸腺腫なんて)聞いたことがない病気だね」そう返される。
そして生検から15日後の10月13日、夫と二人で東京警察病院に結果を聞きに行った。
診察室に入ると、ストレートに言われる。
「この前は胸腺腫と言いましたが、生検の結果、悪性リンパ腫でした」
“悪性リンパ腫…”、当初、恐れていた病名。
隣りに座っている夫は、ショックを受け、言葉を失っていた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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