乳がん ステージ2B(トリプルネガティブ) サバイバー 松下裕子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】松下裕子さん 乳がん ステージ2 サバイバー
- 第1話「体調の異変」
- 第2話「手術とその後の生活」
- 第3話「右胸のしこり」
- 第4話「乳がん ステージ2B トリプルネガティブ」
- 第5話「抗がん剤治療の開始」
- 第6話「抗がん剤(FEC)の副作用と効果」
- 第7話「抗がん剤(パクリタキセル)治療」
- 第8話「乳房温存型の部分摘出手術」
- 第9話「治療の終了とがん再発への不安」
- 第10話「明るい光のさすほうへ」
第1話「体調の異変」
「僕が助けてあげますから」
主治医からそう言われ、涙があふれた。
これから始まる試練の入り口での会話だった。
神奈川県足柄郡在住の松下裕子さん(50歳、2008年当時43歳)は、大学卒業後、八十二銀行の都内の支店で働いていた。
ただ、32歳の時に前立腺がんの父親の看病のために退職。
1年間世話をしたが父親は他界し、松下さんは翌年、予備校・早稲田ゼミナールの事務員として再就職。
その仕事の縁で別の予備校で働く今のご主人と結婚した。
晩婚の二人だが、幸せな家庭がスタートした。
結婚を機に仕事の方は再び退職したが、働くことが大好きな松下さんは家計を支えるためにもと考え、2004年、37歳の時に食料品スーパーのパートとして働き出す。
スーパーの仕事は、商品の発注、レジ打ち、伝票整理事務と毎日、忙しいルーチンの仕事がある。
従業員が40人もいるスーパーで一生懸命働いた。
2008年、41歳の時、体調の異変を感じだす。
毎日、だるくて、しんどい。
階段を登るにも、ハァ、ハァと息が切れる。
スーパーで仕事中、それまで持てた段ボール箱の荷物が重くて持てない。
実は、松下さんは20代のころに子宮筋腫が見つかり、それを時々意識しながら普通に生活してきた。
生理痛の時の痛みがひどく、毎月眉間(みけん)にしわを寄せてつらさを乗り越える始末。
でも、大きな病院で診てもらって悪化しているとか、手術が必要とか言われたら嫌だから、詳しい検査は受けたくないと敬遠していた。
しかし、この年の夏、ドロッとした血の固まりのような出血が時々起こる。
それから貧血症状がひどくなり、だるい、しんどい毎日を送っていた。
さすがに耐え切れず、聖マリアンナ医科大学病院の婦人科を受診。
詳しく調べたら子宮筋腫のほか、子宮内膜症、子宮腺筋症、3つの病気の存在を伝えられた。
そして…。
子宮を全摘する手術が必要と言われる。
「全摘」
あまりにも衝撃的だった。
松下さんは、夫と夫の母親に申し訳なく、「離婚してほしい」そう伝えた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
>>NPO法人5yearsの組織概要はこちら
-Sponsored-