大腸がん(直腸がん) ステージ3サバイバー 高木直子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】高木直子さん 大腸がん(直腸がん) ステージ3サバイバー
- 第1話「続く血便」
- 第2話「胃腸科クリニックへ」
- 第3話「大腸内視鏡検査」
- 第4話「進行性の直腸がん」
- 第5話「進腹腔鏡による手術」
- 第6話「ストーマとパウチ」
- 第7話「抗がん剤治療」
- 第8話「ストレスのやり場」
- 第9話「人工肛門(ストーマ)の閉鎖手術」
- 第10話「退院後の生活」
- 第11話「取り戻す生活」
- 第12話「過去は思い出に」
第7話「抗がん剤治療」
2015年9月から血便が出ていた東京都練馬区在住の高木直子さん(44歳、2016年当時42歳)は、広尾の日本赤十字社医療センターで進行性の大腸がん(直腸がん)ステージ3Aを告げられ、2016年3月に腹腔鏡による手術(腹腔鏡下超低位前方切除術(一時人工肛門造設))を受けた。退院後はストーマとパウチのストレスから精神的に参っていた。
退院してからの生活は自由なものだった。
友人とランチを一緒にしたり、兵庫県から来た友人と浅草観光をしたり。
これから始まる抗がん剤治療の前に英気を養っていた。
入院中に、今後の担当は別の若い男性医師に替わると伝えられていた。
30代の眼鏡をかけたイケメン医師。
その担当医から次は、抗がん剤(オキサリプラチン、ゼローダ)治療を8クール行うと言われていた。
お医者さんが抗がん剤治療をやった方がいいと言うなら、仕方がない…、受けよう。でも髪の毛が抜けるのは嫌だな…、そんな感じだった。
退院から3週間経った4月25日、入院しての抗がん剤治療が始まった。
初日のみ点滴でオキサリプラチンを投与。
そして、錠剤の薬のゼローダを5錠、朝夕2回、2週間継続服用。その後、1週間の回復期を設ける。
都合3週間を1クールとする治療だ。
最初の日、オキサリプラチンを投与されたが意外と平気で、夕方、病院の1階にあるコンビニであんパンを買って食べたほどだ。
ただ、脱毛こそないが、その後、手のしびれ、喉の違和感、吐き気、食欲不振とでてくる。
2泊3日で退院し自宅に帰ると、風が手に当たっただけでもしびれる感じがして嫌だった。
それでも、無事に第1クールが終了。
2回目は5月16日。入院はせず、外来の点滴ルームで行われた。
オキサリプラチンを投与し終わったら帰宅する予定だった。
この日、夕方6時過ぎ、点滴が終わり帰ろうと思ったら、息が苦しくなってきた。
しかも両脚のふくらはぎが「こむら返り」をしているみたいになり、脚がまったく動かせない。
まるで下半身が固まってしまったかのようで、どうしようもない状態になった。
急いで車椅子を用意してもらう。
医師から家には帰らず入院したらどうかと聞かれたが、それだけはしたくなかった。
夫に電話すると、なんと植木屋の社長の車を借りて迎えに来てくれた。
高木家には車がないから、勤め先の社長が貸してくれたのだという。
抗がん剤の強烈な副作用に苦しんでいた。
それから2週間、手がしびれて、歩こうとすると脚が「こむら返り」しそうになり動かせなかった。
次のページを読む >> 第8話「ストレスのやり場」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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