大腸がん(直腸がん) ステージ3サバイバー 高木直子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】高木直子さん 大腸がん(直腸がん) ステージ3サバイバー
- 第1話「続く血便」
- 第2話「胃腸科クリニックへ」
- 第3話「大腸内視鏡検査」
- 第4話「進行性の直腸がん」
- 第5話「進腹腔鏡による手術」
- 第6話「ストーマとパウチ」
- 第7話「抗がん剤治療」
- 第8話「ストレスのやり場」
- 第9話「人工肛門(ストーマ)の閉鎖手術」
- 第10話「退院後の生活」
- 第11話「取り戻す生活」
- 第12話「過去は思い出に」
第3話「大腸内視鏡検査」
2015年9月からトイレのたびに血便が出ていた東京都練馬区在住の高木直子さん(44歳、2016年当時42歳)は、健康診断を経て12月に東肛門科胃腸科クリニックを訪れた。詳しく検査するため2ヵ月半後に大腸内視鏡検査を受けることになっていた。
年が明けて、2016年・正月。
実家の兵庫県に夫と帰省し年始の挨拶をした。
そして、その時、大腸内視鏡検査を受ける予定だと両親に伝えた。
伝え方が良かったのか、元気だからか、2人ともあまり心配している雰囲気はなかった。
それから2月下旬まで、普通に生活し、普通にケーキを作っていた。
血便は出ているが元気だし、痛いとか、つらいとか、何一つ自覚症状がない。
2016年2月23日、東肛門科胃腸科クリニック。
午前中に自宅で2リットルの下剤を飲み干し、大腸の中を空っぽにして、恵比寿まで来た。
検査を担当したのは主治医ではなく比較的若い医師だった。
高木さんは診察台の上に横になり、映し出されるモニター画面を観ている。
肛門からカメラが入り、すぐに直腸へ。
さっそく腫瘍が2ヶ所みつかり、そこから血がにじみ出ている。
それを見つけた若い医師は主治医を呼びに行き、一緒にモニター画面で確認している。
40分程の検査が終わり、横になって休んだ後、着替えて、主治医の診察室に行った。
「紹介状を書きますので、大きな病院に行って詳しく調べてみてもらってください。悪性の可能性が高いです」
そう言われ、広尾にある日本赤十字社医療センターを紹介される。
「最悪の場合、がんなんや」
昔から何かあった場合、最悪のシナリオを事前に考えて覚悟し、心に保険をかける習慣がある。
そして、万が一、その通りになっても「想定内、想定内」と自分に納得し落ち込まないようにする。
そんな精神コントロールをしてきた。
この日、クリニックで撮影した患部の写真をもらった。
採取した組織は病理検査にまわされることになったが、その結果を待たずして3日後、日本赤十字社医療センターに行くことになる。
この状況を夫には簡単に説明したが、両親には伝えなかった。
親をあまり心配させたくなかった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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