大腸がん(直腸がん) ステージ3サバイバー 高木直子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】高木直子さん 大腸がん(直腸がん) ステージ3サバイバー
- 第1話「続く血便」
- 第2話「胃腸科クリニックへ」
- 第3話「大腸内視鏡検査」
- 第4話「進行性の直腸がん」
- 第5話「進腹腔鏡による手術」
- 第6話「ストーマとパウチ」
- 第7話「抗がん剤治療」
- 第8話「ストレスのやり場」
- 第9話「人工肛門(ストーマ)の閉鎖手術」
- 第10話「退院後の生活」
- 第11話「取り戻す生活」
- 第12話「過去は思い出に」
第10話「退院後の生活」
日本赤十字社医療センターで進行性の大腸がん(直腸がん)ステージ3Aと告げられ、2016年3月に腹腔鏡による手術(腹腔鏡下超低位前方切除術(一時人工肛門造設))、4月から抗がん剤治療(オキサリプラチン、ゼローダ)を受けた東京都練馬区在住の高木直子さん(44歳、2016年当時43歳)は、11月に人工肛門(ストーマ)を閉鎖する手術を受けた。
退院してからの生活は、言われた通り大変だった。
外出するときは、いつどこで便意をもよおすか解らないから、駅とか、コンビニとか、トイレの場所がどこにあるか調べておかないと外には出られないのだ。
特に退院してから最初の病院外来は大変だった。
練馬区の自宅から広尾の病院まで電車で通院するのだが、それまでの途中駅すべてに、どこにトイレがあるか調べないと怖くて仕方がない。
おっかなびっくりだった。
だが、高木さんの信条の「すべては時間が解決する」という通り、最初のころ1日20回以上もトイレに行っていたが、やがて、半分の10回程度まで減ってくる。
またライブに行きたい…、また、パン屋めぐりをしたい…。
そんな想いで少しずつ前に進んでいた。
2016年12月中旬、また一つうれしいことがあった。
お風呂の湯船につかれたのだ。
ストーマとパウチがついている時は濡らしてはいけないとシャワーだけにして湯舟にはつかれなかった。
手術後もお腹に傷があるから、風呂に入れないでいた。
しかし…、9ヵ月ぶりにそれができ、大事な生活を取り戻した喜びを感じる。
この年も押し迫った12月下旬、これならライブにもいけそうだ、そう感じた時、友人に頼み吉川晃司の年末ライブのチケットを予約した。
2016年12月29日よ12月30日の2日分。
そして、その日、国立代々木競技場・第2体育館に高木さんはいた。
「わたし、ライブに復活できた!」
心の底からそんな喜びが湧いてきてLINEでみんなに知らせた。
「私、いま、ライブに来ているんだよ!」
それまで高木さんが、黙々と進行がんの治療を乗り越えようと、がんばっているのを知っていた友人たちは、お祝いのメッセージを寄せる。
この年(2016年)、「ライブに行く」という元の生活を年内に取り戻せた。
これで、大丈夫だ…、そう思えた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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