【ストーリー】高木直子さん 大腸がん(直腸がん) ステージ3サバイバー

大腸がん(直腸がん) ステージ3サバイバー 高木直子さんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】高木直子さん 大腸がん(直腸がん) ステージ3サバイバー
  2. 第1話「続く血便」
  3. 第2話「胃腸科クリニックへ」
  4. 第3話「大腸内視鏡検査」
  5. 第4話「進行性の直腸がん」
  6. 第5話「進腹腔鏡による手術」
  7. 第6話「ストーマとパウチ」
  8. 第7話「抗がん剤治療」
  9. 第8話「ストレスのやり場」
  10. 第9話「人工肛門(ストーマ)の閉鎖手術」
  11. 第10話「退院後の生活」
  12. 第11話「取り戻す生活」
  13. 第12話「過去は思い出に」

第9話「人工肛門(ストーマ)の閉鎖手術」

日本赤十字社医療センターで進行性の大腸がん(直腸がん)ステージ3Aと告げられ、2016年3月に腹腔鏡による手術(腹腔鏡下超低位前方切除術(一時人工肛門造設))を受け、ストーマとパウチのストレスから精神的に参っていた東京都練馬区在住の高木直子さん(44歳、2016年当時43歳)は、4月から抗がん剤治療(オキサリプラチンゼローダ)を受けていた。

体調が悪いなか、家事をがんばっていた。
夕食を作っている時、今から20分間煮込むとなると、その間、布団で横になったこともある。
そして、2016年9月23日、とうとう最後の8クール目がやってきた。
ゼローダの服用から2週間が経ち、10月6日に最後の錠剤を飲んだとき、何とも言えぬやり遂げた感と、解放感を味わった。
この第8クールの期間中に43歳の誕生日を迎えた時、こう感じた。
「今年の誕生日…、まさか、抗がん剤を飲んでいるとは思わんかった」

そして…、11月3日、人工肛門を閉鎖する手術のために入院。
結構、緊張していた。
なぜなら、1回目の腹腔鏡手術の時は手術の怖さを知らなかった。
でも、今は解っている。
しかも、主治医からはこう言われた。
「2回目は1回目よりも痛いはずです。筋肉を縫うから。あと、人工肛門を閉鎖した後、下痢が続いて、かなり、きついはずです」
だから今回の手術が恐くて仕方がなかった。

11月4日、約2時間半の人工肛門(ストーマ)閉鎖手術が行われた。
「これが終われば、ストーマがなくなる。すべてがスッキリする」そう思い、手術を乗り越えた。
オペが終わり、目が覚めると腹部が、ものすごく痛かった。
まるでお腹にナイフが刺さっているかのようで痛くて仕方がない。
看護師が、次々と鎮痛剤を入れたが、最後の鎮痛剤で、ようやく痛みが緩和された。

手術から3日後、いよいよ流動食が開始。このとき、看護師からこう言われる。
「ここから、(下痢との)戦いの始まりだね」

肛門を数カ月間使っていないからお尻をしめる感覚を忘れている。しかも、直腸がない。
便意を感じると、トイレまで我慢しようと思っても1秒も我慢できないような状況だ。
毎日、20回以上もトイレに行く。
だから常にビクビクして、トイレから戻るとまたトイレの生活になった。

手術から2週間後、最後の退院をした。

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この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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