悪性リンパ腫 ステージ1A サバイバー 小林円香さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】小林円香さん 悪性リンパ腫 ステージ1サバイバー
- 第1話「左眼の充血と目やに」
- 第2話「左眼の下の頬あたりにしびれ」
- 第3話「腫瘍の可能性」
- 第4話「生検の手術」
- 第5話「悪性リンパ腫の可能性」
- 第6話「B細胞性リンパ腫の診断」
- 第7話「卵巣の凍結保存」
- 第8話「入院準備」
- 第9話「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」
- 第10話「封じ込めていた不安」
- 第11話「見えない未来ときつい副作用」
- 第12話「過呼吸症候群で苦しんだ毎日」
- 第13話「寛解・復職」
- 第14話「幸せな日常を取り戻して」
第5話「悪性リンパ腫の可能性」
2014年左眼の下のしびれがひどくなり都内の大学病院で診てもらったところ腫瘍の疑いがあると告げられた東京都在住の小林円香(まどか)さん(28歳、2014年当時25歳)は、さらに詳しい検査のために生検を受けることになった。
内視鏡を鼻から入れ組織を取る生検は無事に終了した。
脳に近い場所だからオペ室で全身麻酔で行われた。
手術室から出てきた小林さんは移動式ベッドで病室まで運ばれた。
麻酔の影響でまだ頭はぼんやりとしている。
取り除いたのは腫瘍の1/4だったが、取った後は顔のしびれが減り目やにも減った。
明かに改善していた。
付き添いできていた母親と病室にいると担当医が様子をみにやってきた。
小林さんはまだうとうとしていたが母親が医師に訊く。
「先生、(うちの娘は)がんですか?」
ストレートな質問だった。それに対し担当医は悩ましそうな顔をして答える。
「(今日取った組織の)病理検査の結果をみないと何とも言えませんが、通常のがんとは別次元の悪性リンパ腫の可能性があります」
この会話を聞き取ることはできたが麻酔が効いているために反応することができなかった。
でもそんな状況下で小林さんは考えた。
先生はああ言っていたけど検査結果はまだ出ていないんだし…、
それにこんなのまるでSFファンタジーの現実離れした世界の話だ。
私はまだ25歳。両親にも親戚にも若くしてがんになった人や悪性リンパ腫になった人はいない。
だから、がんなんて間違いじゃないかな…。
一生懸命にがんの可能性を否定していた。
それから4日後の10月13日に退院。
病理検査の結果は1週間後に外来で知らされることになった。
自宅に戻った小林さんはさっそくインターネット検索をする。
わからないことを知りたくて、希望を持ちたくてネット検索を繰り返した。
調べていると8割以上は嫌な情報で気が滅入る。
悪性リンパ腫の患者たちが書くブログも観たが20代の患者なんてほとんどいなかった。
小林さんは希望が欲しくて、こう考えた。
もし生検の結果が悪いものだったら病院から電話がかかってくるだろう。
その電話がかかってこなかったら大丈夫のはずだ。
そして、1日、2日と過ぎ、結局病院からの電話は無かった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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