悪性リンパ腫 ステージ1A サバイバー 小林円香さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】小林円香さん 悪性リンパ腫 ステージ1サバイバー
- 第1話「左眼の充血と目やに」
- 第2話「左眼の下の頬あたりにしびれ」
- 第3話「腫瘍の可能性」
- 第4話「生検の手術」
- 第5話「悪性リンパ腫の可能性」
- 第6話「B細胞性リンパ腫の診断」
- 第7話「卵巣の凍結保存」
- 第8話「入院準備」
- 第9話「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」
- 第10話「封じ込めていた不安」
- 第11話「見えない未来ときつい副作用」
- 第12話「過呼吸症候群で苦しんだ毎日」
- 第13話「寛解・復職」
- 第14話「幸せな日常を取り戻して」
第14話「幸せな日常を取り戻して」
2014年に左眼の充血、目やに、顔面のしびれ、鼻血と様々な症状がでたあと、悪性リンパ腫(びまん性大細胞型B細胞リンパ腫)と診断され合計6クールのR-CHOP療法を受けた東京都在住の小林円香(まどか)さん(28歳、2015年当時26歳)は、2015年6月に保育園に復職した。
7月末のことっだった。
保育園の園児たちとじゃれ合って遊んでいたら子供たちから髪の毛を引っ張られた。
その時…、ズルリ。
かつら(=ウィッグ)が取れた。
みんなビックリしている。
「あー、これね。帽子だよ、ぼうし!」
でもあまりに変だから翌週からかつらもやめた。
自然な感じでウィッグを卒業するきっかけをもらった。
8月16日、自ら立ち上げたサークルで集まり、皆で夏のコミックマーケット(東京ビッグサイトで開催)にコスプレで参加した。
入院中にやりたかったことがまた一つ実現した日だった。
8月23日、中学・高校からの友人たちと二子玉川の花火大会に行った。
全てがどんどん普通になっていく気がして、心から楽しんだ夜だった。
そして8月27日、ずっと違和感がある鼻の奥を治療するために鼻涙管閉塞の手術を受けた。
これで本当にすべてが終わった感じがした。
そこからはまた速かった。
2015年10月にがん告知から1年の節目を無事に迎える。
「1年後生きていられるなんてあの時は想像もつかなかったけど、今こうして仕事ができ遊んでいられる。当たり前のことができる幸せ。病気にならないとわからなかった」
やがて精神科での経過観察が終了。
2016年2月に眼科、10月には耳鼻科での経過観察が終了。
今年3月、婚活(結婚活動)を始めたら彼氏ができた。
2人で東京ディズニーランドに行ったとき言われた。
「誕生日おめでとう。…好きです。(僕と)つきあってください」
それまで自分のがんのことは伏せていた。
がんだったと言ったらふられる可能性もあると思っていたからだ。
しかし、結婚を意識した交際だから、正直に言わなくちゃと思い半泣き状態で打ち明けた。
「(私は)がんをしたから妊娠しづらいかもしれないんだよ。私なんかよりも健康な人の方が絶対にいいよ」
後日、鎌倉の鶴岡八幡宮でデートしている時、彼氏がお願いしたのが「まどかちゃんの健康」と言われ感動する。
こんなに良い人がいるなんて、現実にありえることなのだろうか…。
これまでがんになった私を受け入れてくれる男性なんて絶対にいないと思っていた。
でも、この瞬間まるで少女漫画の主人公になった気持ちであり、まさしくファンタジーの世界の住人になった気分だった。
こんなことってあるんだ…。少し前までは想像できなかった現実の世界にいる。
そして今年5月、がん治療終了から2年の記念日を無事に迎えた。
すべては、小林さんが一日一日の試練を乗り越えていった結果のご褒美だ。
いま改めて幸せな日常を取り戻している。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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