【インタビュー】大友和紀さん 大腸がん(S状結腸がん) ステージ3 サバイバー

大腸がん(S状結腸がん) ステージ3a サバイバー 大友和紀さんのストーリーです。

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目次

基本情報

名前: 大友和紀さん >>5yearsプロフィール
年代: 40代、男性
病名: 大腸がん(S状結腸がん)
病理:
進行: ステージ3a
発症年月: 2016年8月
発生時年齢: 41歳
受けた治療: 外科手術(人工肛門造設、S状結腸がん切除)、抗がん剤治療(オキサリプラチン、ゼローダ)
治療期間: 2016年8月~2017年4月
合併症: 
職業: 団体職員、デザイナー、大学講師
生命保険会社: 全労災

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2016年8月、ライブに行く途中にお腹がゴロゴロと鳴り出します。これ以前にお腹が鳴るようなことは無かったのでしょうか?痛くは無かったとのことですが、通常のお腹がゴロゴロいう感じとは何が違いましたか?

お腹がすいてゴロゴロいうのと、感覚的には似ていますが、違いは大きさと長さでした。
音が大きく、そして数分止まらないのです。

翌日(8月5日)、お腹が痛くなってきて悪寒がし始めます。この時の状況と心境を教えてください。奥さまがお出かけ中で一人の時、かなり心細かったのではないでしょうか?

今まで食中毒になったことがありましたので、そんなものかと思いました。特別不安はありませんでしたが、先日まで何を食べていたのかを思い出していたと思います。ただ、心当たりは特にありませんでした。

町営の病院で診てもらい「ウィルス性の腸炎」と診断されます。それまで腸炎を患ったことはありましたか?診断に本当かなあと感じたとのことですが、胃腸薬で多少は緩和されたのでしょうか?

知らずになってかかっていたことはあったと思います。病院に駆け込むほどのものは、子供の頃に牡蠣であたって以来でしたが。薬は全く効かず、すべて無理にでも食べていた食事とともに吐き戻していました。

8月6日、体調がさらに悪化してきますが、自宅でお一人、奥さまの帰りを待っています。このとき、ご自分に何が起きていると想像していましたか?大腸炎が悪化していると感じられていたのでしょうか?心境を教えてください。

全く想像はできていません。ただ、食中毒が悪化しているだけだと思っていました。
身体に害をなしているものを体外に排泄すれば治ると思い、ただ耐えていました。

救急で徳島赤十字病院にいき、大腸内視鏡検査を受けます。受信時、医師はどんな雰囲気でしたか?映し出される画像を観て、何かコメントしていましたか?

内視鏡検査を受けている最中は、体調が悪すぎてあまり覚えていません。ただ、これで原因がつかめれば、楽になって帰れると思っていました。

一番気にされたことは、入院により仕事がまわらなくなることだと伺いました。働き盛りのがん、この時、例え治療が上手く行っても、その後の仕事が上手く行かないような恐怖を感じていたのでしょうか?それとも目先数週間の運営がまわらなくなるご心配だったのでしょうか?

8月1日より新しく団体を立ち上げたばかりで、年金事務所や税務署など関係各所への書類提出もまだ完了しておらず、また主催している仕事も多いうえ、事務局は当時は私のみと…当時は特に輪をかけて忙しい時期でした。それをどうやって執行していくのかについてノープランだったことにぞっとしました。自分の健康問題というリスクヘッジが全くできていなかったことを強く反省させられました。

社会保険も、ちょうど切り替え(新しい団体を新規事業所として社保の任意適用申請中に入院)だったこともあり、入院時は保健証がなく、そのタイミングの悪さには焦らされました。(※おかげで入院月は国民健康保険適用の医療費(高額療養費の上限まで)と協会けんぽ適用の医療費(高額療養費の上限まで)を二重に負担させられました)
とにかく目の前のことが多すぎて、将来的なことは、その瞬間はほとんど心配できませんでした。

振り返り、5月のがん検診で「便潜血・陽性、要・再検査」とあったと言われていました。1年前のがん検診では、特に問題がなかったのでしょうか?わずか1年で腸閉塞を発症するまで、がんが進行したのでしょうか?

お医者様に、がんが1mmから10mmになるのは15年程度かかるが、10mmから20mmになるのは1年かからないと言われました。一定の大きさまで成長すれば、爆発的に増えるのでしょうね。

これまで、がん検診と併せて、大腸内視鏡検査を受けられたことはありましたか?

いいえ、この検査がはじめてでした。

バル-ンを入れる処置とはどのようなものでしたか?イメージが湧かないので、宜しければ詳しく教えてください。

閉塞部に先端を差し込んで、そこに仕込んだバルーンを膨らませることで、物理的に閉塞部が開く仕組みです。バルーンと言われましたが、おそらくバルーンを使うステントのことかと思います。私も、体内を見たわけではないのでお医者様の説明通りに書いてますが(笑)

奥様は、夫の「大腸がん(S状結腸がん)」の事実を知り、何と言われていましたか?入院当初の奥様のご様子はいかがでしたか?

まさか?という思いはあったと感じますが、取り乱すことも特になく平静に見えました。
当初は「大変やなぁ」的な話をしたとは思います。

大腸の炎症を抑えるために、人工肛門の造設手術を告げられます。人工肛門に対しどのような印象をお持ちでしたか?

人工という言葉の響きのせいもありますが、いよいよ本気の病人になるんだなぁということを感じました。また、排泄にパウチを使うことで、その管理が面倒だなということと、運動が抑制されること、また温泉に入りずらいなと、パウチが結構高額だなぁと…私にとってはQOLを下げる印象しかありませんでした。

無事、人工肛門が作られます。大腸が外に出ているものと理解していますが、触っても痛くはないのでしょうか?大腸が外に出ている感じとはどんな感じでしたか?

触れても全く痛みは感じません。かといって乱暴に扱うと、すぐに出血したりと、なかなかデリケートなものです。外観はウェットな梅干しが身体に付着している感じです。
それでももともと便秘がちな私が、人工肛門をつけてからは排泄のトラブルがなくなったので、そういった点では便利に感じました。

抗がん剤治療に対して極度に恐れている感じがするのですが、なぜ、そこまで抗がん剤治療に対して抵抗感があったのでしょうか?

「意外と楽だった」といった話を聞いたことがないことと、投薬後の後遺症化、またそこまでしても奏効率がどこまであがるかが不明瞭…といったことで悩みました。仕事に支障が出ることも大きな原因だったかと思います。

S状結腸がんの外科手術はいかがでしたか?手術後の体調について教えてください。

数日は痛みとチューブで身動きが取れませんでした。また、手術前後でおよそ10日ほど固形物が食べられないことも、辛いことでした。
手術後は患部から少量の出血があったことと、姿勢が変えられないことによる極度の腰痛に数日悩まされました。動かないことが苦手なので、チューブが外れ自力で歩けるようになったら、ほとんど病室におらずあちこちウロウロしていて、よく看護婦さんが探しにきてました。

リンパ節郭清により進行ステージ3aと判明します。告げられた時考えたことはどんなことですか?

手術前は、お医者様の見立てでステージ2と言われていました。2なら抗がん剤は選択制といった印象があり、3を超えると投薬しなきゃいけないと考えていました。別に3でも選択制ではありますが…ただ、患部を切ったらこれでサヨナラだなぁなんて呑気に考えていた癌は、これから先にも付き合っていかなきゃいけない慢性的な病なんだと、改めて気づかされた思いです。

退院するまでお母さまにはがんの事実を伏せていました。それに対し後ろめたいような気持ちはありましたか?大腸がん(S状結腸がん)と伝えると、お母さまはどう反応されると想像されていたのでしょうか?

特に後ろめたい気持ちはありませんでした。高齢の母を心配させたくもなかったので、抗がん剤をしていなければ、ひょっとしたら今でも内緒にしていたかもしれません。

術後の抗がん剤治療を受けるかどうかとても悩まれたと伺いました。奥さま、お母さんは、何と言われていたのでしょうか?

嫁は受けたほうがいいとの判断でした。少しでも「生き残る」可能性が増えるなら、それにかけたほうがいいと。母には相談していません。

退院後、頑張って仕事に復帰されます。大友さんにとって、この時、仕事はどういう意味を持っていましたか?

まさしく社会復帰ですね。ワーカホリックな生活に慣れているので、そのサイクルから離れると、不安に感じることもありました。日常に戻る手がかり、あるいは病とは違う健康な世界との接点といった意味合いが強いです。

ついに、抗がん剤治療が始まりました。オキサリプラチンとゼローダの副作用は、いかがでしたか?想像と変わりなかったですか?それとももっときつかったですか、楽でしたか?

1コース目は全く副作用が出ませんでしたが、オキサリプラチンは2コース目から手指にしびれが出始め…6コース目で足裏にしびれが出て、緩和されなくなり、そこで中断しました。
私の場合、ゼローダは副作用らしい副作用は出ませんでした。
投薬中は月に数日休む程度で、あとはほぼフルタイムで仕事をしていました。意地みたいなものもあり、冬場でもオートバイや自転車で通勤していました。まさかバイクに乗れると思わなかったので、想定したよりは体調をマネジメントできていたのかもしれません。それでも楽なんてことは全く思えず、早く終わってほしいと願っていました。

抗がん剤治療中の半年間、どのような生活でしたか?

通勤できないことが予測されたので、退院して抗がん剤をはじめるまでの間に家でも仕事のできるテレワーク環境を整えました。これは今でも便利で、通勤自体の意味が問われるほどです。
また体調が悪く、休んでいるときは家で飼い猫たちと遊んでいました。
何もしていないことも苦痛なので、仕事上あれば便利な宅建士やフィナンシャルプランナーの勉強をはじめ、両資格も昨年取得しました。いいのか悪いのか分かりませんが、家にいる時間もそれなりに有効活用していたと思います。

2017年4月20日に、無事、抗がん剤治療をやり切ります。凄いことだと思います。終わった時の心境はいかがでしたか?

とは言え、オキサリプラチン残りは2コースで途中離脱したので、心残りはありました。
体調や副作用のことを考えても、やっと終わってくれた…とほっとしましたが、薬の代金を考えてもほっとしました。高額療養費の制度を使っていても、かなりの出費にはなってしまうので。

2017年5月に人工肛門の閉鎖手術を受けられます。その後の体調、便の排出はどのような感じで推移していったのでしょうか?

体調が良い状態で手術を受けたので、それほど悪化することもありませんでした。便については「とんでもない下痢と便秘が半年続く」といったような話を聞いていたのですが、私の場合そんなことは一切なく、当初3日ほど便秘になった後に、細切れな便が少しづつ大きくなってき、3カ月程度で普通便に戻った印象です。
病気になる前より便通がよくなったのは、食べ物やその噛み方に気を付けるようになったからだと思います。

治療中、リハビリ中、心の浮き沈みに、どのように向き合いましたか?

私自身あまり悲観的に考える性質ではないので、それほど気持ちが沈むことはありませんでした。嫁も性格がカラっとしているので、湿っぽい会話になることもなく、それも良かったのかもしれません。
遅刻しそうでいくら慌てていても、乗り込んだ電車は急いでくれません。その場合の焦りの気持ちは無駄なだけだと考えているんですが、癌という病気も乗り込んだ電車に似ている気がしています。私の思いだけで、身体が良くなるわけでもないので、その時その時の判断に過ちがないよう、あまり負の感情には流されないようにして心がけています。

41歳という若さで大腸がん(S状結腸がん)を経験されて、いま、どのように感じられていますか?

アウトドアスポーツが趣味で、健康自慢なきらいがありましたが、そんな自分でも癌になったということが驚きでした。嫁がベジタリアンなこともあり、私自身もほとんど肉は食べないので、よく言われる西洋的な食生活が大腸癌の原因といった話も、そんなに関係はないのかもしれません。癌が40歳代から増えるということは、自分自身もそうですが、周りでも発病する方がおり、強い実感が伴います。自分自身の身体のメンテナンスや定期的なチェックは重要だと感じますね。

がん治療中にご家族がしてくれたことで感謝していることは何ですか?

嫁がほぼ毎日、仕事帰りに病室に寄ってくれたり、入院中の世話や、一部仕事の連絡などしてくれたことが、本当に助かりました。結婚というもののありがたみを久々に実感する出来事です。また、愛猫たちの写真を病室に飾っており、この子たちの存在にも勇気づけられました。

がん治療中にお仕事をこなされていました。がんと仕事の両立について感じられていることを教えてください

大きな組織に属している方なら、自身の仕事を複数人数で負担しあって助け合える…といったことが出来ると思います。私の場合、当時は一人でしたから他に頼れる方がいませんでした。だからやらざるを得なかった…が正しいと思います。それでも社会との接点があるため、孤立化せずに済む…という利点はあるかと感じました。
私の仕事の場合、テレワーク化で対応できることが当初の想定以上に多かったため、そもそも通勤の必要性が疑問視できました。テレワークの推進も、癌と仕事の両立を考えるうえでは、とても重要な要素になってくるのではと思います。

いま、がん発病前の生活に近づきつつあると思います。それでも、苦労されていること、辛いことあるかと存じますが、どのようなことがあるでしょうか?

一番面倒なのは、足のしびれの後遺症化です。人工肛門を閉鎖してようやくマラソンやトレイルランにも復帰しはじめましたが、このしびれのおかげで走っていて気持ちが悪い時があります。

がんになって失ったもの、得たものは何ですか?

【得たもの】

  1. 自分の身体をケアするという習慣
  2. 大切なものと、そうでないものを見分ける力(価値判断)
  3. いつか(やりたい)を今から(やる)と考える習慣

【失ったもの】

  1. 健康に対する根拠のない自信
  2. お酒を呑む習慣

大切にしている言葉は何ですか?

而今(にこん)=今を生きる
畢竟、いつ死ぬか分からないから「今このとき」をちゃんと生きようという思い。

現在治療中の方々に伝えたいことを教えてください。

がんには「猶予がある」、といいそれを実感しています。自分の「もしも」に対して、少しづつ準備をしていますが、それと同時に命に期限があると知らされることで、ポジティブになれることもあるようにも感じます。

現在治療中の患者さんのご家族に伝えたいことを教えてください。

母親の癌に対する無理解と偏見に情報提供し正すことが、かなり面倒に感じていました。きちんとした本を読むなどして、正しく新しい情報を得、それをもとに接していただければ、と思います。

大友さんが、いま、やられていること、今後、やろうとされていること、やりたいことは何ですか?

嫁と猫の保護活動をしていることもあって、うちには現在4匹の猫がいます。
彼らが天寿をまっとうするまで、しっかり面倒をみて、全員の最期を看取ることが、私の人生の目標です。また、それが私の生へのインセンティブにもなっています。

がん患者がしてはいけないこと(3つ)

特別ないとは思います。
ただ、エビデンスの全く感じられないオカルト的な治療法は避けたほうがいいのでは?とは思います。

がん患者がするべきこと(3つ)

ちょっと思い当たらないです。

周囲から掛けられた言葉で、嬉しかった言葉

余命宣告されたら、好きなところに行って住もう(嫁)

周囲から掛けられた言葉で、不愉快に感じた言葉

大丈夫(あなたに何が分かるの?と思ってしまいました)

復職する際に大切なこと

  1. (体力的な面で)無理をし続けないこと
  2. できないこと、自信のないこと、成果が見込めないことは、断って時間を作ること
    (本当に大切なことを判断すること)

当時参考にした本

「旅をする木」(星野道夫)
なぜ再読しようと思ったのか、当時は気づかなかったのですが、
「田舎暮らし」をはじめたときに理想としていたシンプルな暮らし方に全くなっておらず、結局いくつもの仕事を抱えて(都会にいるときよりも)複雑な暮らし方になってしまい、人生のコントロールを失っていたからではないだろうか?と思います。
初心に戻りたい…といった精神の働きかけがあったのかもしれません。
ただ、復職して結局元に戻ってしまいました…

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取材:大久保淳一

この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
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