炎症性乳がん(浸潤性乳管がん)ステージ3B サバイバー 原田祐子さんのインタビューです。
目次
- 1 基本情報
- 2 2016年3月、お風呂からでたあと、左胸が大きくなっていることに気が付きます。それまで、お風呂で胸を触診して、自身で乳がんリスク確認するようなことをされたことはありましたか?
- 3 日が経つにつれ、硬く大きく、更に赤くなってきたと伺いました。どんなスピードで変化していたのでしょうか?
- 4 生理と関係があるのではと考え、病院には行かず、しばらく様子をみられます。不安ではなかったですか?
- 5 病名を知りたくて、インターネット検索をされました。安心しましたか?それとも益々不安になりましたか?
- 6 豊田厚生病院に行き、生検を受けます。受けられた生検とはどのような検査でしたか?
- 7 まだ、検査結果が出ていない途中で、医師から「疑いがある」と言われます。その時のお気持ちを教えてください。
- 8 2016年5月6日、医師から炎症性乳管がんを告げられました。どのように感じ、どのように受け止めましたか?
- 9 当時、病室にいらしたご主人は、診察室を出たあと、何と言われていましたか?どんなご様子だったでしょうか?
- 10 「手術ができない」ということをどのように感じましたか?
- 11 抗がん剤治療(ハーセプチン、パージェタ、タキソテール)治療はいかがでしたか?
- 12 会社の社員たちには、心臓弁膜症の治療と説明されます。会社の人たちはどのような反応でしたか?
- 13 抗がん剤の副作用で髪の毛が抜けます。どのようなお気持ちでしたか?美容院に行かれましたか?その後、ウィッグをつけていたのでしょうか?
- 14 転院先の病院選びはどのようにして決めたのでしょうか?
- 15 抗がん剤が効いて、がんが小さくなっているという報告を受けた時のお気持ちを教えてください。
- 16 ご両親にがんの事実を明かされます。その後、ご両親は何と言われていましたか?
- 17 抗がん剤治療中の生活について教えてください。どのように過ごされていたのでしょうか?
- 18 CT画像検査の結果、10cm以上あった腫瘍が2cmほどまで小さくなっている、手術が可能と言われた時のお気持ちを教えてください。
- 19 食事の制限をされていたと伺いました。なぜ、そうされたのですか?どんな食事に替わっていたのでしょうか?つらくなかったですか?
- 20 約1年に及ぶ、がん治療を終えた時、どのようなことを感じましたか?
- 21 いま、経過観察でどんな頻度で病院に行かれていますか?
- 22 がん患者たちが受けているヨガとは、どんなことをされるのですか?普通のヨガとあまり変わりないですか?
- 23 がん治療中にご家族がしてくれたことで感謝していることは、何ですか?
- 24 がん治療中に自宅で出来るお仕事をされていたのでしょうか?
- 25 治療と仕事の両立について感じるところを教えてください。
- 26 治療中、リハビリ中、心の浮き沈みに、どのように向き合いましたか?
- 27 乳がんを経験して感じたことを教えてください。
- 28 がんになって失ったもの、得たもの
- 29 大切にしている言葉
- 30 現在治療中の方々に伝えたいこと
- 31 現在治療中の患者さんのご家族に伝えたいこと
- 32 原田さんが、いま、やられていること、今後、やろうとされていること、やりたいこと。
- 33 がん患者がしてはいけないこと(3つ)
- 34 がん患者がするべきこと(3つ)
- 35 周囲から掛けられた言葉で、嬉しかった言葉
- 36 周囲から掛けられた言葉で、不愉快に感じた言葉
- 37 復職する際に大切なこと
- 38 当時参考にした本
基本情報
名前: 原田祐子さん >>5yearsプロフィール
年代: 50代、女性
病名: 炎症性乳がん
病理: 浸潤性乳管がん
進行: ステージ3B
発症年月: 2016年3月
発生時年齢:49歳
受けた治療: 抗がん剤治療(ハーセプチン、パージェタ、タキソテール)3クール、抗がん剤治療(ハーセプチン、パージェタ、ドセタキセル)5クール、放射線治療、抗がん剤治療(ハーセプチン)6クール
治療期間: 2016年5月~2017年4月
合併症:アレルギー反応
職業: 会社役員
生命保険会社:アメリカンファミリー
かんぽ生命
中小企業共済(中小企業経営者の関係者が加入)
2016年3月、お風呂からでたあと、左胸が大きくなっていることに気が付きます。それまで、お風呂で胸を触診して、自身で乳がんリスク確認するようなことをされたことはありましたか?
健康診断を毎年受けていただけで、しっかりとした触診はしたことがありませんでした。
日が経つにつれ、硬く大きく、更に赤くなってきたと伺いました。どんなスピードで変化していたのでしょうか?
病院に行く前の1ヶ月間半前くらいは硬いのと少し大きくなってきたのを実感していました。その2週間後くらいでだんだん赤くなってきました。
生理と関係があるのではと考え、病院には行かず、しばらく様子をみられます。不安ではなかったですか?
以前にも胸が張るという似た状況があったので、またそれだと思っていて不安はなかったです。
自分がガンだとは全く想像することもなかったです。
病名を知りたくて、インターネット検索をされました。安心しましたか?それとも益々不安になりましたか?
何が起こっているのか知りたかったのですが、検索すればするほど、悪い情報ばかりで
不安になりました。
豊田厚生病院に行き、生検を受けます。受けられた生検とはどのような検査でしたか?
診察室で麻酔もなく、細胞を採取されました。
まだ、検査結果が出ていない途中で、医師から「疑いがある」と言われます。その時のお気持ちを教えてください。
ネットで事前に検索していたこともあり、悪い結果の可能性が大きいのかもと想像し、でもまだガンだと決まったわけではないと、現実逃避をしていました。
2016年5月6日、医師から炎症性乳管がんを告げられました。どのように感じ、どのように受け止めましたか?
余命を聞くのが怖かったので、5年後の生存率を聞き、50%と言われたとき、自分は
今後どうなってしまうのかと何も考えられない状態でした。
当時、病室にいらしたご主人は、診察室を出たあと、何と言われていましたか?どんなご様子だったでしょうか?
宣告を受けたあとすぐは、言葉をかけてくれたかどうか覚えてません。
その時は、人も多かったので、ほとんど会話をしていなかったと思います。
帰りの車の中で、薬が効いたら手術できるんだから、大丈夫と言ってくれたと思います。
「手術ができない」ということをどのように感じましたか?
そんなに大きいのか?と驚きました。そこまでになってしまっていたことが、かなりショックでした。
抗がん剤治療(ハーセプチン、パージェタ、タキソテール)治療はいかがでしたか?
3番目のタキソテールをすると、すぐにアレルギー反応が起こり身体の一部(肘や首等)が痒くなりました。途中で中断し、担当の医師に毎回相談するようになりましたが、そのうち投与する速度をゆっくりにしたら無事最後まで、普通に治療できました。
はじめの副作用は下痢がひどく、回数とともに関節が固くなり、足かせをつけている状態、4回目の投与ぐらいから、むくみがひどくなり、歯の浮いた感じを経験し、足の爪はしばらく経って親指が両方共剥がれました。
会社の社員たちには、心臓弁膜症の治療と説明されます。会社の人たちはどのような反応でしたか?
持病があったことを知っている人もいたので、何も心配している様子もなく、受け入れていた様子に見えました。
抗がん剤の副作用で髪の毛が抜けます。どのようなお気持ちでしたか?美容院に行かれましたか?その後、ウィッグをつけていたのでしょうか?
浴室からなかなか出られず、自分の顔を見るのが怖かったです。浴室の中でずっと泣いていました。
既にウィッグは準備していたのですが、すぐにウィッグだとわかるものだったので、自分の変化を見られるのが怖くて、仕事を休職してしまいました。普段の通院と日常品の買い物は、季節が暑い時期でもありウィッグではなく、帽子をいつも被っていました。
転院先の病院選びはどのようにして決めたのでしょうか?
患者会での情報を聞いて、選択しました。
抗がん剤が効いて、がんが小さくなっているという報告を受けた時のお気持ちを教えてください。
嬉しかったです。ようやく、両親や職場の人、友達にも話せる勇気が出てきました。
ご両親にがんの事実を明かされます。その後、ご両親は何と言われていましたか?
代わってやりたい、ガンになるのが早すぎると言ってくれました。
抗がん剤治療中の生活について教えてください。どのように過ごされていたのでしょうか?
副作用がひどくなりながらも、今までは仕事をフルタイムでしていたので、時間が自由にたくさんできて、のんびりと主婦業をしていました。主人が付き添ってくれて、ウォーキングをしたり、気分転換に1泊旅行に出かけました。
CT画像検査の結果、10cm以上あった腫瘍が2cmほどまで小さくなっている、手術が可能と言われた時のお気持ちを教えてください。
とても嬉しかった反面、手術をしない治療法を紹介されていたので、あんなに手術がしたかったのですが、選択に迷いました。何か試されている気がしてなりませんでした。
食事の制限をされていたと伺いました。なぜ、そうされたのですか?どんな食事に替わっていたのでしょうか?つらくなかったですか?
初めての患者会が、どこの病院にかかっていても参加可能な、なぐもクリニックでした。たまたま参加した日が、なぐも先生の 「命の食事」の本の発売日
これを参考にブドウ糖となる食べ物を極力やめました。
どんどん痩せていきましたが、タンパク質や野菜をしっかりとり、治療のためなら、
我慢できました。
約1年に及ぶ、がん治療を終えた時、どのようなことを感じましたか?
通院では、いつもドキドキしながら、結果を待つ患者さんを見かけます。ガンとの関わりは、まだまだ続くと思いながら、病院にいないときは、ガンのことを普段は忘れたいと思っています。忘れるぐらい、違うことで忙しく、夢中になりたいことを探したいと思います。
いま、経過観察でどんな頻度で病院に行かれていますか?
3ヶ月ごとに通院しています。
がん患者たちが受けているヨガとは、どんなことをされるのですか?普通のヨガとあまり変わりないですか?
普通のヨガと変わりないですが、講師の方も乳がん経験者なので、難しいポーズはしていないと思います。
毎回よく似た内容ですが、リラックスできて気持ちがいいです。
がん治療中にご家族がしてくれたことで感謝していることは、何ですか?
治療後に迎えに来てくれたり、熱が出た時に病院へ連れて行ってくれたことです。
身体が思うように動かない時も、一緒にゆっくりウォーキングをしてくれたことも感謝しています。
がん治療中に自宅で出来るお仕事をされていたのでしょうか?
経理関係で振込をしたり、会社の書面等で文章の原稿チェックなどをしていました。
治療と仕事の両立について感じるところを教えてください。
簡単なことは可能ですが、抗がん剤の副作用で記憶力が低下したと実感している人が多いと感じています。
治療中、リハビリ中、心の浮き沈みに、どのように向き合いましたか?
ガンが治ったという本を探して読みました。
気分が落ち込むことは、治療には良くないと思うので、とにかく笑っていられて、病気を意識しないようにお笑い番組を見たりしました。
乳がんを経験して感じたことを教えてください。
ガン=死ではないと、自分がこの世に生まれてくるときに選んだ試練だと捉えています。
生きていく中で、試練はみな違うし、自分に起こることを受け入れて生きていくことで、あなたに与えられた試練から「何か気づきなさい」と言われている気がしました。
この経験をしたことが、自分の成長に繋がると思っています。
がんになって失ったもの、得たもの
【得たもの】
- 深い関係でないママ友が真剣に心配してくれて、心の友となった
- 病気に向き合う人たちの世界を知り、経験したことのない気持ちを得た
- ガン=恐怖、死というイメージだったが、今は“死“ではないと気づいた
【失ったもの】
- 残業、出張という仕事をしている時に発症したため、責任ある仕事
- 仕事で必要とされなくなったこと
- 友達(ガンであることを伝えた後、繋がりが途絶えた)
大切にしている言葉
魂が喜んでいるか
自己責任
現在治療中の方々に伝えたいこと
自分を決して責めないで下さい。何かが原因でガンになった訳ではないと思って、全てを受け入れて治療に向き合って下さい。全てのことは、良いこと悪いこと、プラスマイナス、
という関係で成り立っています。誰もが、自分が辛い経験をしたことで、今まで、気づかなかった何かに気づいたということが必ずあると思います。考え方を変えるだけで、ガンになって、良かったと思える時が必ずくると思います。
現在治療中の患者さんのご家族に伝えたいこと
自分がガンの家族を持ったことで、看病すること、自分の時間が少し減り家族のために費やすことになったと思っている人がいたら、自分を責めたり、家族を責めたりしないでください。人はこの世に生まれると同時に死ぬという状況が、いつかは必ず訪れます。それは避けられないことで、それなら、少しでも楽しいことを想像して生きていくこと、幸せだと感じる何かを見つけようと努力していけば、辛い治療も乗り越えていけると思います。
周りの人の考え方は本人に大きな勇気を与えてくれます。
原田さんが、いま、やられていること、今後、やろうとされていること、やりたいこと。
乳ガンピアサポーターの認定資格を取得する予定、また自分の体験を今後いろんなところで発信したり、体験話をしていきたいと思います。
がん患者がしてはいけないこと(3つ)
- 自分のガンについてのネット検索
- 治療法の選択を医師任せにすること
- 自分を責めること
がん患者がするべきこと(3つ)
- ガンを自分に課せられた試練だと受け入れ、ガンと向き合う
- ガンになったことは、何か意味がある経験だと前向きに受け止める
- 自分で治療法を選択し、全ては自己責任であると捉える
周囲から掛けられた言葉で、嬉しかった言葉
- 前向きに行動すれば大丈夫
- 決して諦めない
- 内面の心の中に幸せを見つける
周囲から掛けられた言葉で、不愉快に感じた言葉
特になし
復職する際に大切なこと
- 治療スケジュールを優先に無理のない業務に移動をお願いする
- 治療費を確保しながら、残業をしない勤務を基本にする
- 疲れる前に休憩を心がける
当時参考にした本
- 地球人革命
- 37の病院・医師をまわり僕はがんを治した
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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