大腸がん(直腸がん) ステージ3サバイバー 高木直子さんのインタビューです。
目次
- 1 基本情報
- 2 がんを患う以前「自分は、元気なまま、おばあちゃんになるんだろう」と思われていました。それは、どうしてですか?
- 3 2015年9月から、トイレのたびに血便が続きますが、病院に行かれません。不安ではなかったですか?
- 4 会社の健康診断まで病院に行かれませんが、健康診断で検便を取れば、必ず「潜血便、要・精密検査」となるような気がします。そこまで待ったのはなぜですか?
- 5 2015年12月にクリニックを受診した時、大腸内視鏡検査が2ヵ月半先となります。他の病院でもっと早く診てもらうことは、お考えにならなったのですか?
- 6 2016年2月23日、大腸内視鏡検査の時、モニターを観ていて「最悪の場合、がんやな」と自ら思います。恐くなかったですか?
- 7 紹介先が広尾の日本赤十字社医療センターとなった、いきさつを教えてください。
- 8 日本赤十字社医療センターを受診した際「99%進行性のがんです」と言われた時の心境を教えてください。死生観はありましたか?
- 9 ご自身のモットーの「淡々と受け入れて、黙々と治療をこなしていく」これについて教えてください。
- 10 高木さんの場合、発病以前の「がん」に対するイメージはいかがでしたか?告知をうけて、どのように変わりましたか?
- 11 会社に癌のことを伝えると、休職扱いとなり6月までは席があると言われます。なぜそのような処遇になったのですか?パートだからでしょうか?
- 12 医師から「腹腔鏡下超低位前方切除術(一時人工肛門造設)と説明された時のお気持ちを教えてください。どのように受けとめられましたか?
- 13 初期症状が特にないにもかかわらず、がんの手術を受けるときのお気持ちを教えてください。
- 14 1回目の手術が無事に終わり、でも、人工肛門(ストーマ)とパウチがついているのを見つけた時の心境を教えてください。ショックでしたか?
- 15 ご主人が献身的に毎日のように見舞いに来られます。当時、ご主人の様子はいかがでしたか?
- 16 高木さんは、ストーマとパウチをものすごくストレスに感じます。どのようなストレスを感じられていたのでしょうか、どのような状況だったのでしょうか?詳しく説明して頂けますか。
- 17 手術終了後、抗がん剤治療が行われることを、どのように感じましたか?
- 18 2回目のオキサリプラチンで強烈な副作用がでます。当時の状況を教えて頂けますか?
- 19 1回目のオキサリプラチン投与では、重い副作用は起こらなかったみたいですが、なぜ、2回目に起こったのでしょうか?
- 20 ゼローダの副作用はいかがでしたか?
- 21 抗がん剤治療中、ご主人は高木さんにどのように接してくれましたか?
- 22 ゼローダ単体に変更になりましたが、オキサリプラチンの代わりの抗がん剤を入れる可能性については無かったのでしょうか?
- 23 全8クールの抗がん剤治療受けていたとき、昼間どのように過ごされていましたか?
- 24 11月に人工肛門閉鎖の手術を受けられます。手術後の体調について教えてください。
- 25 入院中、下痢が続きます。どのような状況だったのでしょうか?
- 26 退院後も、毎日下痢が続きます。でも、社会生活に戻っていかなくてはなりません。どのようにとらえ、どんな生活をされていたのでしょうか?
- 27 高木さんの信条の「すべては時間が解決する」について教えてください。
- 28 がん治療中にご家族がしてくれたことで感謝していることはなにですか?
- 29 年末に吉川晃司さんのライブに行きます。その時の心境と感激について教えてください。ライブ中に下痢になる不安はありましたか?
- 30 2017年に入るとリハビリと回復が進み、色んなことができるようになります。どんなペースで回復されていきましたか?当時の心境と合わせて教えてください。
- 31 治療中、リハビリ中、心の浮き沈みに、どのように向き合いましたか?
- 32 女性が人工肛門(ストーマ)であることで、性的な尊厳を感じたことはありますか。
- 33 2017年4月に職場にすんなり復帰されます。当時の状況と周囲の人たちの雰囲気を教えてください。
- 34 復帰したとき、ケーキ作りの感覚、流れ、段取り等々を忘れていなかったとうかがいます。なぜでしょうか?
- 35 大腸がん(直腸がん)を経験して感じたこと
- 36 がんになって失ったもの、得たもの
- 37 大切にしている言葉
- 38 現在治療中の方々に伝えたいこと
- 39 現在治療中の患者さんのご家族に伝えたいこと
- 40 高木さんが、いま、やられていること、今後、やろうとされていること、やりたいこと。
- 41 がん患者がしてはいけないこと
- 42 がん患者がするべきこと
- 43 周囲から掛けられた言葉で、嬉しかった言葉
- 44 周囲から掛けられた言葉で、不愉快に感じた言葉
- 45 復職する際に大切なこと
- 46 当時参考にした本
基本情報
名前: 高木直子さん >>5yearsプロフィール
年代: 40代、女性
病名: 大腸がん(直腸がん)
進行: ステージ3a
発症年月: 2015年9月
発生時年齢:42歳
受けた治療:根治手術(腹腔鏡下超低位前方切除術(一時人工肛門造設)) 抗がん剤治療(オキサリプラチン、ゼローダ) 、人工肛門(ストーマ)閉鎖手術
治療期間:約7ヵ月間(2016年3月~2016年11月)
合併症:
職業:洋菓子製造
生命保険会社:オリックス生命保険
がんを患う以前「自分は、元気なまま、おばあちゃんになるんだろう」と思われていました。それは、どうしてですか?
42年間大きな病気をせず 元気に生活していたため、そのように感じていました。
2015年9月から、トイレのたびに血便が続きますが、病院に行かれません。不安ではなかったですか?
多少、気にはなりましたが 痔かなぁくらいにしか考えませんでした。
会社の健康診断まで病院に行かれませんが、健康診断で検便を取れば、必ず「潜血便、要・精密検査」となるような気がします。そこまで待ったのはなぜですか?
どうせ再検査の結果が出るだろうから 急がなくても良いと思っていたからです。
2015年12月にクリニックを受診した時、大腸内視鏡検査が2ヵ月半先となります。他の病院でもっと早く診てもらうことは、お考えにならなったのですか?
他の病院で受けると 検査費用が自費になると言われたので、考えませんでした。
2016年2月23日、大腸内視鏡検査の時、モニターを観ていて「最悪の場合、がんやな」と自ら思います。恐くなかったですか?
先生が、悪性の可能性が高いとおっしゃったので 最悪がんなんやな と思ったのですが 、正直、恐いとは思いませんでした。
紹介先が広尾の日本赤十字社医療センターとなった、いきさつを教えてください。
2か所 紹介できますがどっちがいいですかと聞かれ 品川と渋谷なら渋谷のほうが近いかなと思い 日赤を選び紹介状を書いていただきました。
日本赤十字社医療センターを受診した際「99%進行性のがんです」と言われた時の心境を教えてください。死生観はありましたか?
あぁ そうなんや。。。まぁそんなこともあるよなぁ と思ったくらいで 死ぬかもなんて微塵も感じませんでした。
ご自身のモットーの「淡々と受け入れて、黙々と治療をこなしていく」これについて教えてください。
何事も慌てず騒がず、自分が諦めなければ、全て時間が解決してくれると思っています。
高木さんの場合、発病以前の「がん」に対するイメージはいかがでしたか?告知をうけて、どのように変わりましたか?
すごく痩せている人がなると思っていて、自分には無縁の病気というイメージでした。がん告知後は、こんなに元気な私でもなる身近な病気なんだと感じました。
会社に癌のことを伝えると、休職扱いとなり6月までは席があると言われます。なぜそのような処遇になったのですか?パートだからでしょうか?
形式上 パートの契約期間の区切りが6月でした。
医師から「腹腔鏡下超低位前方切除術(一時人工肛門造設)と説明された時のお気持ちを教えてください。どのように受けとめられましたか?
深く理解できてなかったのもあり、単純に、そうですか、お願いしますという気持ちでした。
初期症状が特にないにもかかわらず、がんの手術を受けるときのお気持ちを教えてください。
自覚症状はないけど、悪いものがあるなら取ってしまおうと考えていました。
1回目の手術が無事に終わり、でも、人工肛門(ストーマ)とパウチがついているのを見つけた時の心境を教えてください。ショックでしたか?
ショックでした。これからどぉなるんやろう、恐いなと思いました。
ご主人が献身的に毎日のように見舞いに来られます。当時、ご主人の様子はいかがでしたか?
彼は、心配性で、私よりもショックを受けていたはずですが、努めて明るく接してくれました。
高木さんは、ストーマとパウチをものすごくストレスに感じます。どのようなストレスを感じられていたのでしょうか、どのような状況だったのでしょうか?詳しく説明して頂けますか。
昼間も夜寝ている時も、存在が気になり、漏れる心配もあるし、消化の悪いものは食べられない、お腹周りがゆったりとした服しか着られない、湯船につかれないなど、ストレスを感じていました。
手術終了後、抗がん剤治療が行われることを、どのように感じましたか?
副作用が恐いと思いましたが、再発や転移のリスクが低くなるなら、多少、辛くても頑張りたいなという気持ちです。
2回目のオキサリプラチンで強烈な副作用がでます。当時の状況を教えて頂けますか?
点滴の途中でトイレに行った時、少し足が動き辛いなと感じ、点滴終了後に帰ろうと立ち上がったら、呼吸が苦しくなり、足が動かず歩けませんでした。
1回目のオキサリプラチン投与では、重い副作用は起こらなかったみたいですが、なぜ、2回目に起こったのでしょうか?
回を重ねるごとに副作用がきつくなるとは聞いていましたが、私にはこの薬が合わなかったのでしょうか。
ゼローダの副作用はいかがでしたか?
手のひらや足の裏が、ぱりぱりしたり、歩きすぎると足の裏が炎症をおこして痛くなったり、倦怠感があったりしました。
抗がん剤治療中、ご主人は高木さんにどのように接してくれましたか?
料理は出来ないのに頑張ってご飯を作ってくれたり、とにかく心配して優しくしてくれました。
ゼローダ単体に変更になりましたが、オキサリプラチンの代わりの抗がん剤を入れる可能性については無かったのでしょうか?
ありませんでした。
全8クールの抗がん剤治療受けていたとき、昼間どのように過ごされていましたか?
近所のスーパーで買い物をしたり、友達とランチしたりしましたが、うちでテレビを観て過ごす日が大半でした。
11月に人工肛門閉鎖の手術を受けられます。手術後の体調について教えてください。
とにかく傷が痛かったのと、下痢と発熱で体調はあまり良くありませんでした。
入院中、下痢が続きます。どのような状況だったのでしょうか?
一日に20回以上トイレに行く、一晩で12回という時もあり、眠れませんでした。
退院後も、毎日下痢が続きます。でも、社会生活に戻っていかなくてはなりません。どのようにとらえ、どんな生活をされていたのでしょうか?
主治医が言った、一か月,二か月、半年、一年。。。と良くなっていくからという言葉を信じて、体力をつけるために毎日外出するようにしていました。
高木さんの信条の「すべては時間が解決する」について教えてください。
辛い状況でも一生続くわけじゃない。続いたとしても自分はそれを受け入れて、いつか笑ってなんであんなに落ち込んだりしたんやろって思える日が来ると信じています。
がん治療中にご家族がしてくれたことで感謝していることはなにですか?
夫が出来ない料理をしてくれた事。仕事中にも心配して電話をくれた事。泣いてしまったときに、黙って抱きしめてくれた事など、たくさんあります。
年末に吉川晃司さんのライブに行きます。その時の心境と感激について教えてください。ライブ中に下痢になる不安はありましたか?
トイレの心配はありましたが、ライブが始まると以前のように楽しめたので、私、復活した‼と思えて 本当にうれしかったです。
2017年に入るとリハビリと回復が進み、色んなことができるようになります。どんなペースで回復されていきましたか?当時の心境と合わせて教えてください。
目に見えた回復というよりは、気が付いたら下痢しなくなったなとか、トイレの回数が減ったかなとか、ゆっくりペースでした。
治療中、リハビリ中、心の浮き沈みに、どのように向き合いましたか?
そんなに気持ちが沈む事はなく、あとは良くなるだけと思っていました。
女性が人工肛門(ストーマ)であることで、性的な尊厳を感じたことはありますか。
ありません。
2017年4月に職場にすんなり復帰されます。当時の状況と周囲の人たちの雰囲気を教えてください。
おかえり~という感じで、あたたかく迎えてもらいました。
始めの2週間だけ残業なしで帰っていましたが、それ以降は、残業もしました。
復帰したとき、ケーキ作りの感覚、流れ、段取り等々を忘れていなかったとうかがいます。なぜでしょうか?
やはり10年以上やっていた仕事の感覚は、1年休んだくらいでは鈍らなかったということでしょうか。
大腸がん(直腸がん)を経験して感じたこと
入院・手術というものがどれほど大変かということ。
健康でいるという事が、どれほどありがたいものかということ。
自分を心配して支えてくれる人が、たくさんいるんだということ。
がんになって失ったもの、得たもの
【得たもの】
- 思いやる気持ち
- 人工肛門の知識
【失ったもの】
- 直腸
- 好きな事に費やすはずだった時間
大切にしている言葉
「何事も時間が解決してくれる」
現在治療中の方々に伝えたいこと
必ず良くなると信じて、無理をせず、我慢をせず、やってください。
現在治療中の患者さんのご家族に伝えたいこと
過度に心配したり、気を使ったりせず、優しく見守ってください。
高木さんが、いま、やられていること、今後、やろうとされていること、やりたいこと。
普通に生活すること。
がん患者がしてはいけないこと
ネットでいろいろ調べて 落ち込むこと
がん患者がするべきこと
ネットで知識を得て 前向きになること
周囲から掛けられた言葉で、嬉しかった言葉
- 友人の あせらんでいいよ
- 上司の いつでも戻ってきて 待ってるから
- 主治医の 必ず良くなるから
周囲から掛けられた言葉で、不愉快に感じた言葉
大丈夫 大丈夫!
復職する際に大切なこと
- 後遺症などを 理解してもらうこと
- 無理しないこと
当時参考にした本
『大腸がん手術後の100日レシピ』
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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