【インタビュー】大腸がん(S状結腸がん) 肝転移 ステージ4 森島俊二さん

S状結腸がん ステージ3a→ステージ4、肝転移 サバイバー 森島俊二さんのインタビューです。

※ストーリーをまだ読まれていない場合は先に読まれることをおすすめします。

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目次

基本情報

名前: 森島俊二さん >>5yearsプロフィール
年代: 40代、男性
病名: S状結腸がん
進行: ステージ3a→ステージ4、肝転移
病理:
発症: 2007年7月(37歳)
治療: 外科手術(4回)、抗がん剤治療(UFT, FOLFOX+パニツムマブ、FOLFIRI+ゼローダ、FOLFIRI+TS-1、FOLFIRI+アバスチン)
期間: 2007年7月~現在
合併症:黄疸、胆管炎、胆のう炎
職業: 会社員
生命保険会社:ジブラルタル生命(三大疾病) がん保険には入っていませんでした。

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>>森島俊二さんの「がん経済」記事はこちら

健康診断の結果、便潜血が陽性と出て不安ではありませんでしたか?

特に不安と感じることはなかったです。
年齢的なものがあると思います。(まだ30代と若かったので)

トイレで用をたすたびに出血されていました。どんなお気持ちでしたか?

「またか」と思うことがありましたが、だんだん出血の量と色(赤黒い)で、そろそろ「やばいかなぁ」と思うようになりました。

内視鏡検査を受けることになった時の気持ち

内視鏡検査が決まった時は、開き直っていたかもしれません。
あまり不安と思うこともありませんでした。がんであっても大丈夫と根拠がない自信?がありました。

医師から内視鏡検査の結果の画像をみせてもらったとき顕微鏡で観察しているようなお気持ちとあります。怖くはなかったのですか?

はぃ、怖いと思うことはありませんでした。不思議な物体(?)を見ている感じでした。

腹腔鏡手術のあと1カ月静養のため会社を休んでいます。当時、どのようなことを考えていらしたのですか?

大腸がんについての知識の収集に時間を使いました。療養の後半は、今まで仕事が忙しかったので「まぁ、いいか、1ヶ月くらい」と思い休んでいました。

「UFT」治療はいかがでしたか?

経口薬でしたが、倦怠感と吐き気がひどかったです。経口薬だからといって、あなどってはいけませんね。

インターネットで、患者が書く闘病ブログを読まれていました。ブログは役に立ちましたか?どんなことを感じましたか?

似たような症状の方のブログは参考になりましたが、人それぞれと思いますが副作用の症状、対応など具体的に書かれていたので参考になりました。
しかし、結局、人は人、自分とは違うと思うようになり、次第に読まなくなりました。

5年生存率という数字に対しどのような気持ちがありますか?

指標としては必要と思います。だが、患者個人が「5年生存率」という言葉に縛られない方がよいと思います。考え方によっては「5年しか生きられない」「5年生きればいいじゃん」と解釈してしまうかもしれません。

ご両親はいつも通りに接してくださいました。ご家族のありがたさとはどんなものですか?

今でも心配していると思います。手術やのちの抗がん剤治療中でも普通に接してくれているので、ありがたいです。

抗がん剤治療「UFT」終了後、再発・転移もなく平穏な毎日が続きます。どのように過ごされていましたか?

安心はしていませんでした。食事には気をつけていました。野菜中心で肉類は週1程度。効果はわかりませんが、もともと食べ物に嫌いなものが少なかったので、野菜中心でも気になりませんでした。
結局、転移したので、いまは好きなもの、食べられる物を食べています。

CT検査の結果、肝臓に影が見つかたっときのお気持ち

「おぉ、とうとう来たか!(転移する)3割の方に入ってしまった」とショックではありましたが、何とかなるだろうと思っていました。

転移の結果、手術ではなく、まず抗がん剤治療と言われた時のお気持ち

肝転移も1個だけだったので、抗がん剤を使わなくても取れるだろうと思っていました。
(当時は完治を目指していたので)
でも、今思うと、まず抗がん剤と言った主治医も一つの治療法だと思います。肝転移したということは、他にも画像に映らないモノがあった可能性も考えられます。

なぜ、セカンドオピニオン外来をがん研有明病院と国立がん研究センター中央病院にしたのですか?

どちらでもよかったのですが、他の意見を聞いてみたかったのと、規模の大きな専門病院を受診してみたかったのです。

手術を違う病院(国立がん研究センター中央病院)で受けることへの不安・大変さ

不安は全くありませんでした。担当していただいた主治医の先生にオーラ(?)を感じて信頼できたので。
大変さは家族が築地まで来てくれることでした。でも築地を堪能していたようです。

がんが発症し、肝臓にも転移したのに、朋子さんとお付き合いを続けていたときのお気持ち

こんな状態でお付き合いが続いて嫁には感謝しています。

肝臓に転移した後に結婚を申し込むことを決めます。その時の心境

うーん、流れでしょうか。。。

がん患者の恋愛と結婚について

男性、女性それぞれ恋愛観、結婚観は違うところもあると思いますが、がんだからといって、いろいろ障害があるかもしれませんが、がん以外は普通なので、そのことを理解してくれることが大事だと思います。

森島さんにとって朋子さんとはどのような方ですか?

頼りになります。体育会系でもありますし。そして力持ち(笑)

S状結腸手術の時、会社を休み、肝臓転移の時再び休まれました。会社・仕事への想いはどのように変わりましたか?

この時は1ヶ月から1ヶ月半ほど休暇をいただきました。復帰直後は体力的にしんどい時もありましたが、すぐに慣れ、会社(「がん」ということは上司同僚は承知済み)も普段と変わらず仕事ができました。ただし、残業への配慮はありました。

ステージ4になったけど多分大丈夫という自信があるとお聞きしました。森島さんにとってそういった自信の意義は?

なにをもって「大丈夫なのか」かもしれませんが(寿命、生きがい?)、もともとお気楽主義だったので、なるようにしかならないと思っていました。(全てまかせっきりとかそういう意味ではありません。出来ることはやりたいと思います)

黄だんが出たときの状況、体調、心境について教えてください

症状は足の裏が痒い(特に寝るとき、眠れないほど)、尿が紅茶色。何をするにもだるい。食欲減退。全身が黄緑色(当時映画の「アバター」を見たときアバターに似ていると思いました。アバターは青ですが)

黄だんの治療入院の時、体力と気力を失ったとあります。どんな感じだったのですか?

黄だんの治療は絶食とERCP(胆管にステントを通す)なのですが、黄だんを表す数値ビリルビンや肝機能の値が下がらず、入院期間も長かったためやる気が起こらなかったです。(何をするにもだるかった)でも「やりたいリスト」を作成していたので(主に楽しいこと)すぐに気力を取り戻しました。

ステントを通す手術はいかがでしたか?

胃カメラから胆管へステントを通すのですが、寝てしまうのでそれほど苦痛ではありませんでした。しかし胆汁は粘性のある液体のようでステントを通したからといってすぐに胆汁が流れるというものではないようです。2週間くらいかけて徐々に通って行く感じ。長く感じました。

黄だんの治療入院に1ヵ月半もかかりました。この期間、どのようなお気持ちで、どんなことを考えていらしたのですか?

最初は何もやる気がありませんでした。(ほぼ寝てばかりでした)
だんだん安定してくると、「やりたいリスト」を作成するようになって、達成するための(空想の)計画が楽しくなりました。

リンパ節転移にもかかわらず手術はできないと言われた時のお気持ち

画像を見れば状況は納得。
「もう完治はない」と思ったのです。でも不思議と暗い気持にはならなりませんでした。なぜだかわかりませんが。

医師から「君は君。他人とは違うんだから」と言われ心が整理されます。この言葉の意義を教えてください。

5年生存率や転移・再発の数値を気にしていた。統計学的には有意であると思いますが、それを比べるよりも、自分は自分なので数値なんかを気にするな、という意味だと思います。

抗がん剤FOLFOX+パニツムマブをCVポートで入れようとしたら、皮膚障害がおきてCVポートが使えなくなったとあります。どのようなことが起こったのですか?

初回から皮膚障害、全身に挫創(ニキビのようなもの)が出来てしまいCVポートが入れられなかったのです。特に紫外線に当たるところがひどかった。(日焼け対策はしていましたが)

FOLFOX+パニツムマブによる治療中、会社を欠勤扱いにしてもらい治療に専念します。この1年を振り返りいかがでしたか?

抗がん剤後はしばらくはだるい時期もありますが、始めのうちは会社を休むことに負い目を感じていました。がん治療に専念すると考えを切り替え、「やりたいリスト」の中で実行できるものをすることは気持ちは楽しかったです。特にお菓子作りは化学の実験のようで面白く、うまくいけば嫁も喜んでくれました。

FOLFOX+パニツムマブ治療中は、社会とのつながりを失った期間とも伺いました。そのつらさを教えてください。

紫外線にあたるとどんどん皮膚障害がでて(挫創から出血がひどかった)日中、外出することが少なくなりました。また元気な時は自然の中に身を置くようになりました。
(もともと自然の中にいることは好きです)つらさというよりも孤独の時間を望んでいたのかもしれません。

森島さんというがん患者にとって、会社・仕事はどんなものですか?

1回目の黄だんになるまでは、社会とのつながり、やりがいを求め、出来る範囲で頑張ろうと思っていましたが、黄だんで抗がん剤が始まってからは、出来ることをやって、会社も仕事を配慮してくれて感謝していますが、正直、今は治療するにもお金がかかるので、手段とも考えるようになりました。

森島さんにとってシンバ君はどういう存在ですか?

シンバは自分のことを良き遊び相手と思っているかもしれませんが、自分もシンバに癒されているかもしれません。とても表情が豊かです。
動物(犬)って不思議ですね。私の感情を読み取っているなと感じる時があります。何か不安、心配事があると自然と、ピタッと寄り添ってきます。もしかしたらただ単純に「お尻をかけ」と言っているだけかもしれませんが(笑)

魚釣りをしている時間は、ご自身にとってどんな時間ですか?

釣りのことだけを集中しています。もちろんずっと集中できないですが、周りの景色、風、水温の変化などを感じていると、病気のことを考えているヒマがないです。水辺にいると癒されます。

「FOLFIRI,ゼローダ」に替わり復職します。その時のお気持ちと状況を教えてください。

1年以上会社を休んでいたので、社会とのつながりを感じました。
経口のゼローダといっても副作用はそれなりにあり、長期休暇後だったので、最初の仕事として設計ではなく事務仕事(技術情報の収集とまとめ)と配慮いただいて助かりました。

その後、「FOLFIRI,ゼローダ」を止めてなにも治療のない10ヶ月間があります。なぜやめたのですか?その10ヶ月の生活はいかがでしたか?

トータル3年弱抗がん剤をやっていたので(2年目も中断を求めたが許可されなかった)中断をお願いしました。この10ヶ月は心身ともに快調で仕事、趣味(スカッシュ復帰と釣り)もおもいっきりできたので、この後、また黄だん、リンパ節転移再発しますが、中断したことは全く後悔していません。

2015年終わりに、胆のう炎が発症しました。その時の状況を教えてください。

この時期、3次治療のFOLFIRI+TS-1をやっていましたが、1クール目で胆のう炎を発症。抗がん剤効果なしと判断。
症状は右わき腹から中心にかけてビックリするくらいの痛み。夜眠れず夜中に病院に連絡。そのまま入院。40℃以上の熱がしばらく続きました。

2016年1月に、胆管炎を発症します。その時の状況を教えてください。

これも胆のう炎と同じリンパ節転移によるものと思われます。症状は胆のう炎に似ていました。やはり熱が下がらず、抗生剤で炎症を抑え、胆管に金属ステントをERCPで挿入。このころになると38℃くらいの熱は何とも思わなくなり、熱に対してマヒしていたのかもしれません。

神奈川県立がんセンターに転院した理由

もともと通っていた病院の外科が閉科することになり、基本的には主治医についていくことを考えましたが、主治医の勤務先が自宅から遠くなってしまうので通える範囲で病院を探すことにしました。
ちょうど、がんセンターが改築してきれいになったのも選択した理由です。

10年にわたり治療を受けてこられました。振り返っていかがですか?

現在も治療中なのですが、この10年はいろいろあったような気がします。
薬の種類も増えましたし、副作用に対する薬もいいのが出てきていると思います。

森島さんは、常に病気と対峙して、その時その時の試練を乗り越えてこられました。新たな症状が出るとき、どのような気持ちで向かうのですか?

試練と思っていなかったのが良いのかもしれません。強い気持とかもあまり持たないようになりました。(学生時代は負けん気が強かったのですが。部活で)あまりアドバイスになっていませんね。

朋子さんと観に行くミュージカルとはどのようなものですか?

ミュージカルの楽しさを教えてくれたのは嫁でして。。。
ミュージカル以外にも一緒にスカッシュしたり(もう負けちゃいますが)山登りしたりシンバと散歩に行くのは楽しいです。

森島さんには趣味がたくさんあります。がん治療と趣味の意義について

がんになってから趣味が増えた気がします。趣味に没頭しているときは、がんのことも忘れている(考えていない)。決して逃げたりしているわけではないですが。
楽しむことで、頑張れている気がします。

なぜフライフィッシングを始めたのですか?

もともと釣りは子供のころから好きで色々な釣り(淡水ばかり)をやっていました。父も半世紀前からフライフィッシングをやっていたのですが、自分は今まで、手をつけていませんでした。なんとなくフライフィッシングに憧れはありましたが、「やれるときにやっておこう」と思いフライフィッシングを始めました。そうしたら、はまってしまいました。本当に奥が深く面白いです。

がんになって失ったもの、得たもの

【得たもの】

  1. 時間(家族との時間、趣味の時間)
  2. 楽しむこと
  3. 料理(焼き物、スイーツ系→嫁が喜んでくれるとこちらも嬉しい)

【失ったもの】

  1. 基本的にないと思う。いままでと変わりはないか思う。

大切にしている言葉

ちょっと前にCMでも流れていましたが、谷川俊太郎の「生きる」という詩の中の言葉「生きている」。たまに「生きている」という部分を「生かされている」と読み替えると「一人ではないんだ」と思えてくる。

現在治療中の方々に伝えたいこと

自分も現在治療中なので試行錯誤。「○」や「×」正解はないと思っています。気を張らなくても良いと思います。ある意味、サボる能力も必要かもしれません。頑張ってきたのですから。(と言い聞かせます)

現在治療中の患者さんのご家族に伝えたいこと

患者本人によると思いますが、なるべく普通に接してあげた方が良いかもしれません。
あと、話を素直に聞いてあげてください。幸いにして自分はそのようにしてもらっています。

森島さんが、いま、やられていること、今後、やろうとされていること、やりたいこと。

今やっていることは、去年から始めたフライフィッシングが楽しい。
今後やろうとしていることは、去年の秋に釣れなかった魚を(マス類)を今年の秋に釣ること(秋の魚は引きが全然違います)
→何でもよいのですが、治療以外の計画・目標を作った方がいいかと思います。とかく治療中だと、そんな余裕が生まれなかったりする場合がありますが、まず実現できそうな楽しい短期目標(1,2ヶ月)と中期目標(半年から1年)それから長期の目標(2,3年から10年?それ以上?)というより夢ですね。計画を立てるのは楽しいかもしれません。

がん患者がしてはいけないこと(3つ)

  1. ストレスをためる
  2. 睡眠不足
  3. 社会との隔離(自暴自棄になって)

がん患者がするべきこと(3つ)

  1. 楽しむこと
  2. 感謝すること
  3. 悩むのは当たり前。悩みを引きずらないこと

当時参考にした本

最初のころは、色々な本を読んでいましたが(体験談などの本)今思うと参考と思える本には出合えていません。

>>森島俊二さんの がん闘病「ストーリー(がん闘病記)」記事はこちら

>>森島俊二さんの「がん経済」記事はこちら

この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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