胃がん ステージ1b サバイバー 吉田さんのがんに関するストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】吉田洋一さん 胃がん ステージ1b
- 第1話「悪性腫瘍の告知と胃の全摘の可能性。」
- 第2話「しめつけられるような心臓の痛み」
- 第3話「胃潰瘍の痕と内視鏡検査」
- 第4話「病理検査の結果。がん告知」
- 第5話「治療のことで悩むなんてしたくない」
- 第6話「ひとつひとつ取り戻す生活へ」
- 第7話「小さなことの積み重ね」
- 第8話「過酷なレースへの挑戦」
第4話「病理検査の結果。がん告知」
2009年5月の会社の健康診断以降、2度目の内視鏡検査を受けた北海道江別市在住の吉田洋一さん(58歳、2009年当時50歳)は、慎重な医師から再び病理検査を行うと言われガッカリする。先生がなかなか「問題ない」と言ってくれないからだ。そうしているうちに楽しみにしていた「富士登山競走」大会が近づいてきた。
2009年7月24日、大会の日
吉田さんはスタート会場にいた。
この日は朝から天候が悪く、大会関係者たちは大会を開催するかどうかの難しい決断を迫られていた。悪天候のもと富士山を登るのは危険だ。
一方、選手たちはこの日のために半年間近く厳しい練習を積んできたから中止なんて受け入れがたい。
しかし選手たちに失望する連絡が届く。
コースを半分の5合目までで打ち切るという大会事務局からの連絡だった。
「この日のために、ずっとがんばってきたのに…」
不完全燃焼に終わった吉田さんは、「来年こそ頂上コースを完走する!」と自分と約束して北海道に戻った。
大会が終わり翌週の月曜日(2009年7月27日)、予定通り胃腸科専門のクリニックに行った。前回の病理検査の結果を聞くためだ。
呼ばれて診察室に入り座ると、医師がくるりと吉田さんの方を向いた。
そして最初に言われた言葉がこれだった。
「悪性です。手術が必要になります。状況によっては胃の全摘(ぜんてき)もあり得ます。どこの病院でも紹介状を書きますよ」
急にがんの話になり、あっけにとられた。
「でも、がんとは言っていない。なんに対する悪性のことなんだろう?ともかく次の病院だ」
わかりましたと言って席を立つが、気になる。
診察室を出るときに、「先生、悪性ということは「がん」なんですか?」と聞いてみた。するとこういわれる。
「はい、がんです」
いまひとつ信じられない吉田さんだが心は次の病院に向かっていた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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