胃がん ステージ1b サバイバー 吉田さんのがんに関するストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】吉田洋一さん 胃がん ステージ1b
- 第1話「悪性腫瘍の告知と胃の全摘の可能性。」
- 第2話「しめつけられるような心臓の痛み」
- 第3話「胃潰瘍の痕と内視鏡検査」
- 第4話「病理検査の結果。がん告知」
- 第5話「治療のことで悩むなんてしたくない」
- 第6話「ひとつひとつ取り戻す生活へ」
- 第7話「小さなことの積み重ね」
- 第8話「過酷なレースへの挑戦」
第3話「胃潰瘍の痕と内視鏡検査」
2009年5月に会社の健康診断で胃に胃潰瘍(いかいよう)が治ったような痕(あと)があるとして胃カメラでの再検査を勧められた北海道江別市在住の吉田洋一さん(58歳、2009年当時50歳)は、さっそく再検査を受け、サンプルとして取られた胃の内壁の病理検査の結果を聞くことになっていた。
2009年5月29日 病院に行くと医師から言われる。
「心配ないです。良性でした。でもまだ痕(あと)があるから胃潰瘍の治療をしましょう」
1カ月半分の錠剤の飲み薬を2種類処方され持ち帰った。
しかし、吉田さんには胃の痛みとか、重い感じとかの自覚症状が全くない。
だから、そのうち傷は消えるんだろうと服薬もときどきする程度にして放っておいた。
そして大好きなマラソン大会に頻繁に参加した。千歳JAL国際マラソン(6月7日)、サロマ湖100kmウルトラマラソン(6月28日)、さらにピンネシリ登山マラソン(7月5日)。
すべてこの年の最大の目標である「富士登山競走(7月24日)」を完走するための身体づくりとして出ていたというほど元気だった。
富士登山競走、富士山の富士吉田市役所から頂上まで一気に駆け上がる過酷な大会で毎年多くの鉄人ランナーたちがこの大会の完走を目指す。
鉄人たちが集まっても毎年の完走率が5割前後だ。
一方、病院はというとその大会の直前にもう一度胃カメラで検査することになっていた。
胃潰瘍が改善していることを確認するための検査だ。
2009年7月17日・朝、例のクリニックに行き、再び鼻から入れる内視鏡検査が始まった。
そして医師はこう言った。
「胃潰瘍は治っていますね。だけど、その周りに何かあるんですよ。だから念のためにもう1回、組織を取って検査しましょう」
この時は「えっ、もう勘弁してくださいよ」と言いたい気持だった。
2ヶ月経ったが、いつまでもはっきせず終わりが来ないのが嫌なのだ。
吉田さんは病気だとは思っていないから、早くお医者さんから「大丈夫」と言って欲しかったのに、それが未だに言われない。
病理検査の結果は、「富士登山競走」を終えた翌週に伝えられることになった。
次のページを読む >> 第4話「病理検査の結果。がん告知」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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