大腸がん(S状結腸がん) ステージ3a サバイバー 大友和紀さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】大友和紀さん 大腸がん(S状結腸がん) ステージ3 サバイバー
- 第1話「徳島での田舎暮らし」
- 第2話「腹痛」
- 第3話「恐らく大腸がんです」
- 第4話「入院」
- 第5話「人工肛門の設置」
- 第6話「大腸がん(S状結腸がん)の切除手術」
- 第7話「抗がん剤(オキサリプラチン、ゼローダ)治療の開始」
- 第8話「淡々と続く抗がん剤治療」
- 第9話「取り戻した生活」
第6話「大腸がん(S状結腸がん)の切除手術」
2016年8月、大腸がん(S状結腸がん、ステージ2)を告げられた徳島県勝浦町在住の大友和紀さん(43歳、2016年当時41歳)は、腫瘍により発症している腸閉塞と大腸の炎症を緩和させるために、腹腔鏡による人工肛門の設置手術を受けた。
この頃の日記に、治療を終えたらやりたいことが書かれている。
1. 仕事の量を半分にしたい。
2. 北アルプスに1週間ドライブ旅行
3. (7月に買い替えたオートバイで)1泊のツーリング旅行
4. レプンちゃんをお風呂に入れる。ノンノちゃんと遊ぶ。マルくんとナミくんをしつける。
家族同様の愛猫が4匹いて、とても大切にしていた。
何より、がんや、入院を早く終わらせたかった。
大友さんは抗がん剤治療が嫌だった。
「身体が大変」とか、「手足がしびれる」とか、色々聞いていたからだ。
だから、ステージ2で手術によりすべての治療が終わるのは、不幸中の幸いと感じている。
2016年8月24日、徳島赤十字病院、オペの日。
腹腔鏡を使って行われた大腸がん(S状結腸がん)の切除手術。
周囲のリンパ節郭清も同時に行われ、7時間もかかった。
手術後、安静にしている部屋で目が覚めた。
すると途端にガタガタ震え出し寒くて仕方がない。
毛布をもらったが、かなり熱が出ていたはずだ。
オペから8日後の9月1日、次の日が退院という日のことだった。
主治医に呼ばれ部屋に行くと、入院中に撮影したCT画像検査の結果と、郭清したリンパ節の病理検査の結果について説明された。
それによると、腹部から27個のリンパ節を切除したが、そのうち2個から活動性のがん細胞が見つかったという。
これにより、S状結腸がんは、「ステージ3a」と評価。今後の抗がん剤治療を勧められた。
言葉にならなかった。
明日、退院ですべてが終わると喜んでいたとき、打ちのめされたようだった。
正直、がんの告知とか、人工肛門の造設の時よりも大きな衝撃だった。
ステージの進行により、5年生存率は86%から74%になるという。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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