大腸がん(S状結腸がん) ステージ3a サバイバー 大友和紀さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】大友和紀さん 大腸がん(S状結腸がん) ステージ3 サバイバー
- 第1話「徳島での田舎暮らし」
- 第2話「腹痛」
- 第3話「恐らく大腸がんです」
- 第4話「入院」
- 第5話「人工肛門の設置」
- 第6話「大腸がん(S状結腸がん)の切除手術」
- 第7話「抗がん剤(オキサリプラチン、ゼローダ)治療の開始」
- 第8話「淡々と続く抗がん剤治療」
- 第9話「取り戻した生活」
第4話「入院」
2016年8月、お腹が痛くなり救急で病院に行き診てもらった徳島県勝浦町在住の大友和紀さん(43歳、2016年当時41歳)は、医師から大腸がんと告げられる。腫瘍により腸閉塞も発症していた。
2016年8月、徳島赤十字病院・救急室、大友さんは1ヶ月前のことを思い出していた。
5月に受診した「がん検診」の検査結果レポートが7月に届いていたのだ。
今年、41歳、例年受けてきたがん検診(胃がん、肺がん、大腸がん)の検査だったが、届いた結果レポートには「便潜血・陽性、大腸の精密検査を勧める」と記してあった。
この時、「何となく気持ちの悪い結果だなあ。でも、多分、大丈夫でしょう」そんな風に流した。
しかし、今、大腸がんを告げられ、納得する。
「ああ、あの時のことは、このことだったんだ」
ただ、すぐに詳しい検査を受けなかった自分を責めないようにした。
僅か1ヵ月のことだから、既にがんは進行していたのだろうし、この状況で更に自分を責めるのはつらい。
気になるのは入院により仕事がまわらなくなることだった。
シェアハウスの運営もそうだが、勝浦町の観光協会を改組して、勝浦町地域活性化協会を立ち上げたばかりだったからだ。
「どうしよう…」
大友さんは途方に暮れた。
医師は、先ず腸閉塞を解決するために大腸内にバルーンを通して中で詰まっているものを出す処置をした。
一方、診察室の外にいた妻は、ことの次第を教えられ、急いで自宅に戻り、入院のための支度と準備にかかった。
大友さんは入院病棟の2人部屋に移り、家から戻ってきた妻とようやく病室で再会しホッとする。
医師の説明によると大腸内で炎症が起きているので、先ずその炎症がひかないと大腸がんの外科手術に移れないという。
だからバルーンを入れたまま、数日間様子を見て大腸の腫れがひくのを待ちたいと伝えられた。
バルーン挿入により、お腹のジンジンする痛みは、やがて耐えられる痛みまで緩和されてゆく。
次のページを読む >> 第5話「人工肛門の設置」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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