大腸がん(S状結腸がん) ステージ3a サバイバー 大友和紀さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】大友和紀さん 大腸がん(S状結腸がん) ステージ3 サバイバー
- 第1話「徳島での田舎暮らし」
- 第2話「腹痛」
- 第3話「恐らく大腸がんです」
- 第4話「入院」
- 第5話「人工肛門の設置」
- 第6話「大腸がん(S状結腸がん)の切除手術」
- 第7話「抗がん剤(オキサリプラチン、ゼローダ)治療の開始」
- 第8話「淡々と続く抗がん剤治療」
- 第9話「取り戻した生活」
第2話「腹痛」
2008年に徳島県勝浦町に移住した大友和紀さん(43歳、2016年当時41歳)は、2016年8月、車の運転中にお腹がゴロゴロと大きな音を出しだす。
2004年、大友さんが、まだ大阪で働いていた29歳の時、当時通っていたエスニック雑貨店に勤めていた7歳年下の女性と知り合う。
その後、彼女と半年ほど真剣なお付き合いが続き、翌2005年、2人は結婚。
大阪で挙式をあげ、両家の親族・友人たち50人から祝福された。
それ以来、東京への転勤、徳島への移住と大友夫妻にとっては大きな変化の連続だった。
その妻と楽しみにしていた山崎まさよしさんのライブを観に行っていた。
それまで、ゴロゴロと大きな音を立てていたお腹だったが、ライブ中は音楽と歓声でかき消されよく覚えていない。
翌日、2016年8月5日。
シェアハウスの事務所で一人仕事をしていたが、お腹が痛くなってくる。
悪寒もする。
午後になると痛みはもっとひどくなり、30分毎に10分休憩しないとつらくなる。
それでも何とか仕事を終えて、夕方5時半過ぎ町営の病院に行った。
60代の男性医師が担当し、触診、そしてレントゲン撮影。
「ウィルス性の胃腸炎です。胃腸薬を処方しておきます。5日間ぐらいは、しんどいと思いますが自然に治りますから」そう言われた。
「こんなこともあるんだ…」そう思う反面、本当かなぁとも感じた。
大友家では、この日から妻が友人宅に2泊3日で泊まりに行っていて不在だった。
心細い中、自宅で安静にしていた。
翌8月6日、大友さんの体調はさらに悪化してくる。
下腹部が痛くて、なかなか立ち上がれないほどになっていた。
ご飯を食べると気持ち悪くなり、ついには吐いてしまう。
妻にLINEで「体調が悪いから早めに帰ってきてほしい」と救援を求めた。
そして次の日(8月7日(日曜日))
心配した妻が早めに家に帰って来る。
「どないや?!」
しんどい状況を説明し、日曜日ではあるが、救急で病院に行くことになった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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