大腸がんサバイバー中川さんへのインタビューです。
目次
- 1 基本情報
- 2 働き盛りの時に経験するがん治療と復職の難しさについて教えてください。
- 3 抗がん剤治療との向き合い方について教えてください。
- 4 人工肛門(ストーマ)を伝えられた時の心境はいかがでしたか?
- 5 腹膜炎発症時の状況
- 6 転移がわかりStage 4と告げられたときの状況と心境について教えてください。
- 7 ご自分は、なぜ、がんサバイバーになれたと思いますか?
- 8 がんになって失ったもの、得たもの
- 9 大切にしている言葉
- 10 現在治療中の方々に伝えたいこと
- 11 いま、やられていること、今後、やろうとされていること。
- 12 がん患者がしてはいけないこと、するべきこと
- 13 がん治療にかかった費用と保険でカバーされた金額
基本情報
名前: 中川美和さん(仮名)
年代: 50代、女性
病名: 大腸がん(S状結腸がん)
進行: ステージ4
発症: 2007年8月(48歳)
治療: S状結腸切除手術、抗がん剤治療(FORFIRI)、S状結腸がん転移性肝腫瘍切除手術(2回)、抗がん剤治療(UTF UZEL)、抗がん剤治療(5FU、レポホリナート)
期間: 2007年9月~2012年2月
合併症:腹膜炎
職業: 会社員
生命保険: あり
働き盛りの時に経験するがん治療と復職の難しさについて教えてください。
がん治療のために2007年9月18日から会社を休職しました。約2年後にUFT・UZELという軽めの飲み薬の抗がん剤に替わったため、2009年11月1日から復職しました。ただ、鎖骨下にCVポートが埋め込まれたままでしたので(電車が混みあった時間帯に通勤するのは難しく)フレックスタイムを利用し、出社時間をずらして勤務しました。
私は外資系銀行に勤務していますが、当時の総支配人がとても理解のある方だったため、私は同じポジション(職種)で復職できました。(これは、とても有り難かったです)また復帰後に病院での定期的な検査(血液検査やCT)のために遅刻や早退することがありましたが、会社内での理解があり感謝しています。
抗がん剤治療との向き合い方について教えてください。
治療を始める前に担当のお医者さんから、しびれる抗がん剤と脱毛する抗がん剤のどちらにするか選ぶように言われました。結局脱毛する抗がん剤(FORFIRI)を自分で選んだのですが、脱毛に対する恐怖感がひどく、すぐにWig(かつら)を作りに行き備えました。
2回目の投薬の頃から最初の脱毛が始まり自宅のフローリングの床に髪の毛がパラっと落ちた時の音が衝撃的で忘れられません。
基本的に治療は 主治医の指示に従いました。主治医を信頼してお任せしていたのです。脱毛の他に臭覚や味覚の異常、下痢、吐き気、手足の先の色素沈着、などの副作用がありましたが、母と親友から「副作用は薬が効いている証拠だ」と言われ、むりやり納得して我慢していました。
抗がん剤(FORFIRI)は、ペットボトルのようなボトルの中の風船の中にお薬がは入っていて、そのボトルからゆっくりと落としていくもので、2週間ごとの金曜日に始まり日曜日に終わりました。
当初、副作用はそんなにきつくはなかったのですが、投薬を続けていくと(蓄積作用から)徐々に副作用が強くなっていきました。吐き気を忘れるためにリビングの家具のデザインをして海外にオーダーして気を紛らわせていました。この無駄遣い料は母親が出しました(笑)。
笑いが免疫アップになると聞きつけた友人達が面白そうなDVDを送ってくれたり、自宅まで見舞いにきてくれました。最寄りの駅の近くでお茶をしたこともあります。みんなが少しでも私の気分転換ができるように助けてくれました。
人工肛門(ストーマ)を伝えられた時の心境はいかがでしたか?
腹膜炎の手術後に人工肛門がつくられたのですが、担当医から「一時的な人工肛門だから」と言われました。手術後の体調不良であまりピンとこなかったのですが、その後自分のお腹を見て愕然とし、かなりショックを受けました。
身体の不調と気持ちの落ち込みで、ストマの維持・洗浄のやり方を習う気になりませんでした。朝、目覚めた時にこれは夢でないのだとわかりとても落ち込みました。
腹膜炎発症時の状況
最初の手術(腹空鏡)から順調に回復していたにも拘らず5日目に腹痛になりました。やがてその腹痛が激痛になり痛み止めの注射も効かず、震えと寒さと暑さの繰り返しが起こりました。その後のことは記憶があまりないのですが緊急手術になったようです。
看病のため病院に来ていた友人もあまりに急な展開で状況をはっきり覚えていないそうです。
担当医から「何が起きているのか?お腹を開けてみないとわからない」と言われ、その手術への同意サインをしたはずの母も、そのことをほとんど記憶していないと言います。
転移がわかりStage 4と告げられたときの状況と心境について教えてください。
最初のクリニックでの内視鏡検査で“がん”が見つかったときもショックでしたが、がんの転移がわかった時の方のショックが大きかったです。
手術をして“がん”を切ってもまだ続くのだ。治らない病気なのだ・・・と感じました。
転移は告げられてもStage4とは告げられなかったし、こちらからも聞きませんでした。
また、2回目の転移の時も、こんなに頑張っているのに抗がん剤が効いていないのか…と失望しました。
同じ大腸がんの関原健夫氏の著書をバイブルにして、無理やり自分にあてはめて大丈夫だと言い聞かせました。
ご自分は、なぜ、がんサバイバーになれたと思いますか?
まず、感覚的には「生かされた」と感じています。何かやるべき事がまだあるのだと思っています。
治療中は出口の無いトンネルに入ったような気持ちでしたが、入院中も自宅療養中も友人達のサポートがあったおかげで乗り超えることができました。
13年前に腰椎椎間板ヘルニアの手術を受けたのですが、当時は復帰が早過ぎて痛みが戻り仕事復帰に失敗しました。だから今回“がん”では復帰するまでに時間をかけて治療と自分流のリハビリでしっかり準備ができたのがよかったと思います。
最後に、闘病中は入院中だけでなく自宅での抗がん剤治療中もいつでも がんのことが頭から離れず、書籍、ネット検索、テレビ等をチェックしてしまいました。厳しく辛い情報には気分が落ち込み、がんが生活の中心になってしまいました。
そんな日々が続いた後に、治療方針は医学のプロである主治医とスタッフにお任せして全面的に従い、自分はできる事だけやろうと思い自分流の辛くない統合治療リハビリ(食事療法, 鍼、ヨガなど)を始めました。
それでがんが治るという根拠はないのですが「何かに夢中になっている」とその時はがんの事について考えないですんだので気持ちが楽になりました。
がんになって失ったもの、得たもの
【得たもの】
1.普段の生活で不愉快な事や腹立たしい事があっても、もっとつらかった入院中・闘病中の自分を思い出すとどんな事も我慢できる気がします。病気が今までの自分の生き方や考え方をたしなめてくれたのかもしれません。
2.改めて自分の財産は友人だと確信しました。
3.長期休職と復職を経験して自分なりに思うところがあり、ハーブのセラピストとキャリアコンサルタントの資格を取りました。今後、経験者としてこれらがお役に立てると良いと思っています。
【失ったもの】
「無理をする元気と勢い」、「瞬発力」、「集中力」
大切にしている言葉
1) あなた方のあった試練で世の常でないものはない。神は真実である。
あなた方を耐えられない試練に会わせることはないばかりか 試練と同時にそれに耐えられるように逃れる道も備えてくださるのである。(コリント人への第一の手紙 10-13より)
2) 神様
自分では変えられないことを受け入れる平静さと自分に変えられることは変える勇気とそしてその違いがわかるだけの知恵をお与え下さい(The Serenity Prayer)
3) 最初の一歩を踏み出しなさい。
階段全体を見る必要はない。
ただ最初の一段を上りなさい。 (Martin Luther King, Jr.)
現在治療中の方々に伝えたいこと
長い期間の先が見えない治療で辛い思いをなさっていることと思います。時々いやになってしまい生きるために治療するのか、治療のために生きているのかわからなくなる時もあると、お気持ちをお察しします。
もう十分がんばってきているのだから 必要以上にがんばらなくていいけど、へこたれないで下さい。
いま、やられていること、今後、やろうとされていること。
たまたまですが私が知るがん患者は 亡くなっていて(祖父、おばなど)、また友人達の中では私が“がん患者1号”でした。だから、入院中・治療中は、元気ながん患者の存在を知りたかったです。
また治療をしていくうちに完治はないのかもしれないと思うようになり、持病のようにがんと上手につきあい社会復帰したいと思いました。
2012年2月までは UFT・UZELを服薬しながら通勤していました。そして、2014年10月まで鎖骨下にポートもはいっていました。
私のこのような経験を生かして、一般人で根性も強さも忍耐力もなく、おひとり様のがん患者がこうして社会復帰できていることに感謝して、病気で悩んでいる方々のお力になれたらと思います。
今はまだフルタイムで働いているので時間的な自由度が限られており、今後どういう形で皆様のお役にたてるのかはわかりませんが、“力”になりたいと思っています。
がん患者がしてはいけないこと、するべきこと
・がん患者がしてはいけないこと(3つ)
- 疲れることと睡眠不足は、良くない。
- 嫌だなと思うことはしない。
- ストレスをためてはいけない。
・がん患者がするべきこと(3つ)
- 基本的には「自分がやりたい事」は自己責任で何でもやればいいと思います。
- 精神・気持ちの安定に心がけること。
- 感謝すること。
がん治療にかかった費用と保険でカバーされた金額
・治療費: 10,958,050円
・保険等給付金: 6,769,303円
実際の治療費の他、通院のタクシー代、Wig(かつら)代などにもお金がかかりました。
>>中川美和さんの がん闘病「ストーリー(がん闘病記)」記事を読む
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
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